年別アーカイブ:2023年

顧客からの迷惑行為

2023年7月23日   岡本全勝

7月3日の日経新聞に「カスハラ封じ、企業も責任 都は「警察通報」指導も」が載っていました。

・・・顧客や取引先からの迷惑行為、「カスタマーハラスメント(カスハラ)」の被害を、法の力で防ごうとする動きが広がっている。東京都は中小企業向けの専門の支援窓口を置き、悪質事例は警察に通報するよう助言。裁判所では加害者の勤務先企業に使用者責任を認める判決も出ている。企業には、従業員をカスハラから守るために十分な措置をとる法的義務が今後重視されるとの見方も強まる。

「暴言を繰り返し、店頭に居座る客に困っている」。東京都は4月、都中小企業振興公社(東京・千代田)にカスハラ専門の相談窓口を設置。中小企業からの被害相談などを受け始めた。必要に応じて中小企業診断士や社会保険労務士の相談員を4回まで派遣して対応を支援する取り組みを中心とする。
都は被害に遭った従業員だけでなく、企業の事業活動への影響も懸念。左古将典・都振興公社総合支援課長は、相談員と企業が対応しても改善しないような悪質なケースについて「(刑事事案として)被害を警察に通報するよう企業に勧める」と言い切る。

飲食店などを中心に近年、カスハラの被害が目立っている。厚生労働省が20年秋に全国8000人を対象に実施した調査では、過去3年間でカスハラを経験した労働者は15%で、セクシュアルハラスメント(約10%)を上回った。「長時間の拘束や同じ内容を繰り返すクレーム」や「ひどい暴言」などの内容が多かった。飲食店情報サイト「飲食店ドットコム」の20年の調査では、約490人の飲食店経営者のうち64%がカスハラ被害の経験があると答えたという。

被害が増える一方、カスハラの法的な位置づけは曖昧だ。セクハラやパワーハラスメントの防止策は労働施策総合推進法などで次々に法制化されたが、社外の第三者が加害者となるカスハラを直接禁じる法律はまだない。どんな行為が該当するかの具体的な定義も定まっていない。
ただ悪質なカスハラは、暴行や強要、威力業務妨害など刑法上の罪に該当する行為を伴うことがある。都はここに着目し、刑事事案として警察に相談することで被害の歯止めを目指す指導につなげている・・・

行政にあっては、行政対象暴力があり、議員からの無理な要求も問題になっています。

みんながするから、みんながしないから2

2023年7月22日   岡本全勝

みんながするから、みんながしないから」の続きです。

高校時代に、サッカーを少しかじりました。そこで「百姓一揆」という言葉を覚えました。下手なチームだと、ボールが飛ぶと、敵味方の選手が(ゴールキーパーを除いて)そこに集まるのです。みんなが集まる状態を指して、百姓一揆と呼ぶのです。押しくらまんじゅう状態になります。えさを投げると集まってくる、池の鯉と同じです。

戦術としては、空いている場所に展開し、そこでボールをもらう方がよいのです。みんなが同じことをしていては、いけません。ボールを持った選手からボールをもらうために、(パスが出るところに)近寄る選手も必要ですが、それは数人に任せておいて、誰もいない場所に走って、次のパスをもらうのです。

ボールを持った選手は、意識と視野が足もとに集中し、全体の状況を把握できません。「後ろの声は天の声」という金言もありました。後方の選手が全体を見渡し、ボールを持った選手に指示を出すのです。

早生まれは損か

2023年7月22日   岡本全勝

7月2日の朝日新聞オピニオン欄に「早生まれは損?:1 学力では」が載っていました。

・・・同級生に比べて体が小さく、成長が遅い――。1月から4月1日までに生まれた「早生まれ」の子は平均して、学齢期にそんなハンディがあるといわれます。当事者にはどのような苦労があり、どんな配慮が必要なのでしょうか。まずは学力面を中心に考えます。
3月生まれの生徒が入学した高校の偏差値は、同じ学年の4月生まれより4.5低い。3年前、東京大学大学院の山口慎太郎教授(労働経済学)らがそんな研究を発表し、話題を呼んだ。その後、早生まれのハンディを小さくするための議論や新たな施策は生まれたのか。話を聞いた。

埼玉県のある自治体のデータを用い、統計的な誤差を補正した上で4月生まれと3月生まれで入学した高校の偏差値を比べると、4.5の差がありました。
ただ、学力差そのものは学年が上がるごとに縮まっていた。「埼玉県学力・学習状況調査」の4年分のデータを用い、県内の公立小中学校に通う小学4年~中学3年の延べ100万人超のデータを分析したところ、どの学年、どの教科でも、先に生まれた子ほど成績が良い傾向が見られたが、学年が上がるにつれて差は小さくなっていました。
研究では、学力の差もさることながら、「感情をコントロールする力」や「他人と良い関係を築く力」といった非認知能力の差が、学年が上がっても縮まらないこともポイントでした。

学校外での活動を分析すると、中学3年の早生まれの生徒は、学習や読書の時間、通塾率がいずれも高いという結果が出ました。一方、スポーツや外遊び、美術や音楽に費やす時間は少なかった。これは、保護者が自分の子どもに何らかの遅れを感じて塾が優先され、非認知能力を伸ばすとされるスポーツや芸術系の習い事はしなくなるということだと思います。つまり早生まれの子どもたちは学力面では努力で差を縮めているが、非認知能力を伸ばすような活動が不足しているということです。
非認知能力の中でも、一つの仕事をきちんとこなし、達成を目指そうとする「誠実性」は、大人になってからの労働収入と強い相関があると知られています。30~34歳の所得を比較した先行研究によると、早生まれのほうが約4%低いという結果がある。非認知能力を伸ばす活動の不足が、大人になってからの所得差につながっている可能性があります。

「早生まれの不利」は、記事になるたびに「面白い」と消費されるだけで、教育制度のあり方を考えようということになりません。これまで手がけてきた研究の中で、最も政策に反映される気配がない。生まれ月に基づいた配慮は、障害者に対する合理的配慮と同じだと思います。しかし、結局は保護者や本人が不利をどう克服するかという話に終始しがちです・・・

私は1月生まれ。家族や親族にも、2月、3月生まれがたくさんいます。保育園や小学校1年生では、4月生まれの子とは大きな差がありました。

みんながするから、みんながしないから

2023年7月21日   岡本全勝

「みんなが持っているから」というのは、こどもが、欲しいものをねだるときの決めぜりふです。よくよく聞くと、友達2~3人が持っているだけだったり。
服装や化粧品の宣伝で「あなたの個性を際立たせましょう。今年の流行は・・・です」という、矛盾したものもありました。企業が宣伝する流行に合わせれば、個性は埋没します。最近、電車の中で若い女性を見ていると、皆さん同じような化粧をしていて、区別がつきません。

周囲に会わせておけば無難で、自分で考える必要もありません。みんなと違ったことをすると、冷たい目で見られたりいじめに遭うこともあります。しかし、かつて「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というお笑いのネタもありました。自分の頭で考えず、みんなに従っていると、痛い目に遭うこともあります。

商売も同じでしょう。「みんながやっているから、私も始める。」そこそこうまくいくかもしれませんが、ある段階で、パイの奪い合いになります。みんながやっていないことに挑戦すると、うまくいかないこともありますが、大成功することもあります。
科学者も、みんなと同じことをしていては、大きな発見はないでしょう。

子育てや介護の評価、経済学の罪

2023年7月21日   岡本全勝

6月28日の朝日新聞「ケア労働、報酬と評価を正当に 岡野八代さんに聞く」から。

・・・ケアワーカーとして働き続け、ひとり親として子育てや親の介護を担ってきた女性が、高齢期に経済的な苦境に陥ってしまう――。誰もがケアなしで生きられないのに、なぜケアは社会的、経済的に評価されにくいのか。同志社大学大学院教授で政治思想研究者の岡野八代(やよ)さん(フェミニズム理論)に、この問題の根底にある歴史的、社会的な要因について聞いた・・・

・・・ケア労働が市場経済のなかで軽視され、評価されないのはなぜか。いくつかの要因が重なり合っているが、まず資本主義の進展にともなう歴史的な背景があると思う。
資本主義経済で富をたくわえるには、商品である労働力をできるだけ安く確保する必要がある。そのために、労働力の再生産につながる家事や育児といった「再生産労働」はタダで、生物学的な「産む性」の女性が担うものとされてきた。
女性による再生産労働、つまり家庭でのケア労働は、経済的に評価されないまま国家と資本家に搾取され続けてきた。いまの日本でも、ケア労働を女性にタダで押しつける社会構造が根強く残っている。

次に、ケア労働は、自動車などの商品の生産活動と違って、何を作ってどんな価値を生み出しているのかが見えにくい、という特徴がある。つまり、市場経済ではその価値を測ることができない。
さらに保育や介護について言うと、そのサービスを利用する乳幼児や高齢者には、サービスを提供する公的な制度を支える費用を支払う能力がないか、不足している。
サービスにかかる費用をどう見積もり、誰がどのぐらい負担するか、といった点は、常に政治の課題になる。ケアの提供者にいくら報酬を払うか、その値段は政治的に決まる。
ところが日本の政治家は、自分自身では家事も育児もしたことがないという男性があまりに多い。
自身はケアを担わなくてもよく、誰かにケアを押しつけておくことができる「特権的な無責任」の地位でいられる者が、ケア労働を過小評価している・・・