10月21日の日経新聞読書欄、若松英輔さんの「読書家・購書家・蔵書家〜井筒俊彦とボルヘス」から。その気持ち、よくわかります。
・・・購書家という言葉は辞書にはないかもしれないが、本の世界にはこう呼ばずにはいられない人物はいる。本を読むのも好きだが、それを購うことに情熱を燃やす人たちである。アルゼンチンの作家ボルヘスもそうした人間の一人だった。七十歳になろうとする彼がアメリカのハーヴァード大学で行った連続講義が『詩という仕事について』と題する本にまとめられている。そこで彼は、自宅にある多くの本をながめているとすべてを読むことなく死を迎えるだろう、と感じつつも「それでも私は、新しい本を買うという誘惑に勝てません」と語り、こう続けている。
〈本屋に入って、趣味の一つ――例えば、古英語もしくは古代スカンジナビア語の詩――に関わりのある本を見つけると、私は自分に言い聞かせます。「残念! あの本を買うわけにはいかんぞ。すでに一冊、家にあるからな」。〉
家に同じ本があるのにさらに買いたいなど理解できない、という人がいても驚かないが、同じ本を持っていても何かの縁で目の前に現われた本の横を簡単に通り過ぎることなどできない、という心情もまた、購書家たちの真実なのである・・・