企業の失敗、野性喪失から

10月8日の日経新聞、野中郁次郎一橋大名誉教授の「企業の失敗、野性喪失から」から。

バブル崩壊後の日本では雇用、設備、債務の3つの過剰が企業を苦しめたとされた。だが企業を本当に縛ったのは、全く異なる3つの「オーバー(過剰)」だったとみる。
――企業にとって「失われた30年」の真因はどこにあったのか。
「雇用や設備、債務もその通りだ。しかしより本質をいうならプラン(計画)、アナリシス(分析)、コンプライアンス(法令順守)の3つがオーバーだった」
「数値目標の重視も行きすぎると経営の活力を損なう。例えば多くの企業がPDCAを大切にしているというが、社会学者の佐藤郁哉氏は最近、『PdCa』になったといっている。Pの計画とCの評価ばかり偏重され、dの実行とaの改善に手が回らないということ。同感だ」
「行動が軽視され、本質をつかんでやりぬく『野性味』がそがれてしまった。野性味とは我々が生まれながらに持つ身体知だ。計画や評価が過剰になると劣化する」

――計画や数値目標なしに経営は成り立たないのでは。
「それらは現状維持の経営には役立つかもしれないが、改革はできない。欧米の科学的管理手法から発展したやり方は、感情などの人間的要素を排除しがちだ。計画や手順を優先させられると人は指示待ちになり、創意工夫をしなくなる」
「計画や手順が完璧であることが前提だけに、環境の変化や想定外の事態に直面すると、思考も停止する。高度成長期には躍動の原動力だったとしても、今では成長を阻害する要因だ」

延命医療選択、韓国

韓国では、延命医療を続けるかどうかを選択できる制度があるそうです。10月9日の朝日新聞「延命医療やめる」制度、韓国の実態 「意向書」など作成・法施行5年で29万人

・・・韓国では2018年2月、「延命医療決定法」と呼ばれる法律が施行された。死が間近の臨終期の患者の心肺蘇生や人工呼吸器装着、血液透析、抗がん剤などの終了を認める。痛みの緩和や栄養・水分の供給は続けることになっている。
臨終期とはどんな時期か。国の担当者は「死の2、3日前」と説明する。担当医と別の医師の計2人がそう判断した場合に適用される。この制度のもとで亡くなる人は年々増え、23年6月までに計約29万人に上った。

終了できる方法は、大別して四つある。(1)事前に本人が意向書を作る(2)末期患者らが要請し担当医師が計画書を作る(3)家族2人以上の意見により患者の意思を推定(4)家族全員の合意がある――。
(1)の対象は19歳以上。希望者は健康な時から、国が指定する施設でカウンセラーらから説明を受けて作成、国のデータベースに登録される。23年6月までに19歳以上の国民の約4%にあたる約184万人が作った・・・

16世紀スペイン衰退の理由

J・H・エリオット著『スペイン帝国の興亡』(1982年、岩波書店)。スペイン旅行をきっかけに、本の山から発掘し読みました。上下2段組、430ページの本なので、布団で読むには3週間近くかかりました。読み物としては易しく読めるのですが、1469年から1716年までの250年の歴史であり、知らない人名がたくさん出てきて、こんがらがります。

どうしてスペインが世界一の大国になり、どうして没落したか。この本も、それを追った本です。スペインが領土を広げたのは、婚姻と相続です。それらを、相続や独立などで失います。
次に、スペイン本国、カスティーリヤの没落についてです。本書は、各地方の権力が強く、王政を強くする中央集権の試みが挫折したことに、焦点を当てています。また貴族たち特に大貴族と教会の力が強く、王が意向を通すことができません。経済的にも、貴族や教会が土地と農民を支配するとともに、農業や産業の振興に力を入れません。中世の大国が、近世の国家に転換できなかったことに、没落の原因があるようです。

大国の興亡は、経済力、軍事力などに理由があるようですが、地理的、自然的条件だけでなく、国民の意識や政治による舵取りも重要な要素です。本書はその点も指摘します。第8章栄光と苦難に、次のような分析が書かれています(334ページ)。黄金時代と言われたフェリペ2世(在位1556年-1598)から衰退したフェリペ3世(1598年-1621年)の時代です。

絹産業で栄えたトレド市は、経済発展を持続するため、リスボンまでタホ川を航行可能にしようと試みます。途中まで完成したのですが、放棄されます。技術的な問題などもあったのですが、決定的な理由は、セビーリャ市の反対です。彼らが行っているトレドとリスボンの商取引が脅威を受けるからです。これ以外の計画も、個人間や都市間の対立を乗り越えることができず、公共事業への投資の消極性、そして行動する意欲を奪う無気力が指摘されています。

「何を提案しても採用されないから、やめておこう」「今のままでも問題ない」という閉塞感と無力感は、日本のいくつかの職場でも聞く話です。

民間委託、企業と非営利団体との違い

ダイバーシティ研究所メールマガジンVol.185(2023/10/20発行)、田村太郎さんの発言から。

・・・阪神・淡路大震災をきっかけに市民活動が法人格を得て契約の主体となって行政や企業とともに公共の担い手となることへの関心が高まり、1998年にNPO法が成立、施行しました。その後NPOと行政との「協働」が叫ばれ、委託契約を結んで公共のNPOは増えました。加藤哲夫さんはNPOが行政から委託を受けて仕事をすることは「自治の取り戻し」であるとよくおっしゃっていました。これまでは行政に公共の仕事を委託していたが、これからは当事者性と専門性の高い市民が自ら地域の課題を治めていくのだ、民間企業への委託とNPOへの委託はそもそも意味が異なる、コストを下げるための委託ではなく、これまで行政に委ねてきた自治を取り戻すプロセスなのだと。

ダイバーシティ社会を推進する上で、この「自治の取り戻し」という発想はとても重要です。行政のしくみは市民が納めた税をもとに同じ施策を公平に分配するには優れていますが、ひとりひとりのニーズに合った施策を提供するには不向きです。専門性に加え、当事者性の高いNPOが質の高い取り組みを行ってこそ、人の多様性に配慮のある社会を形成することができます。NPO法の成立・施行から25年が経ちましたが、現状はどうでしょうか。

私は自治を取り戻す装置としてのNPOの機能はこのところ後退しているように感じます。景気の後退で民間の企業も行政からの委託に次々と参入し、当事者性はおろか、専門性も低いところが価格だけで委託契約を落札していく事例が各地で起きています。阪神・淡路大震災で発見した市民活動の重要性と、自治を取り戻す装置としてのNPOの機能を改めて見つめ直し、ちがいを認め合い誰もが活躍できる社会の再構築に臨まなければならない。8月末の仙台での熱い議論から、そんな思いを新たにしました・・・

企業への委託は、「協働」とは言いませんよね。