天気予報に見る一国主義

今年も、日本列島を台風が襲い、大きな被害と社会生活の混乱をもたらしました。天気予報が発達し、台風がどこにいるか、このあとどのような方向に進むかの予報もきめ細かくなされます。現地からは、映像が伝えられます。

それを見て、思うことがあります。今年の台風6号は、沖縄付近で停滞し、九州を北上しました。皆さんも、記憶に新しいことと思います。
ところで、この6号はその後、韓半島を北上したのです。しかし、日本の天気予報もニュース番組も、台風が日本列島から離れると、取り上げることはなくなります。
台風が南の海で発生したことは、天気予報が知らせてくれ、その後の予報進路も伝えてくれます。そのいくつかは、日本に来ることはありませんが、台湾などを襲うことがあります。それらも、日本では詳しく伝えられません。

海外旅行に行ったときも、東南アジアやヨーロッパでは、天気予報はその国だけでなく、周辺の国も含めた天気図であり、予報になっています。地理的に、気象的にそうせざるをえないのでしょうが。
日本人が、日本のテレビや新聞を見ている限り、近隣諸国に思いをいたすことはなく、自国のことだけを考える癖がつくようです。

最低賃金審議の一部公開が広がったが・・

8月19日の朝日新聞が「最低賃金審議「公開」広がる 今年は倍増40道県/一部の議論に限定 金額決定の詰めは非公開」を書いていました。

・・・全ての都道府県で今年の最低賃金(最賃)の引き上げ額が決まった。審議の一部を公開するケースが増えており、朝日新聞の調べで今年は40道県と、昨年の19道県から倍増した。ただ、どの都道府県も、労使が主張する金額をすり合わせる詰めの議論は非公開としており、全面公開のハードルは高そうだ・・・

・・・審議の公開は、鳥取県が15年前に始めた。専門部会は3者協議だけなのですべて公開し、2者協議は専門部会を休会して別室で非公開で開いてきた。
その後、公開する道県が少しずつ増えてきたが、今年一気に広がった背景には、国の小委員会が今年から一部を公開し始めたことがある。
ただ、国も公開するのは3者協議だけで、これまでも議事録が後日公表されていた部分だ。今年は5回の会合で計約26時間議論したが、公開したのはうち3時間ほど。国側の資料説明や、労使による金額に関わらない主張、最後のとりまとめの場面などだ。それ以外は2者協議だった。

これに対し、労働組合の中央組織・全労連は審議の全面公開を求めてきた。黒沢幸一事務局長は「率直な議論は公開されてもできる。労使がどんな主張をして、どう最賃に反映されたかを監視する必要がある」と話す。
2者協議は、労使が互いに聞かれたくない話をするための仕組みなので、公開すれば2者に限る意味がなくなる。全面公開するには、協議の仕方そのものをあらためる必要がある。
ただ、詰めの議論での発言は引き上げ額に直結する可能性があり、どの委員が何を言ったかが分かれば、それを不満に思う人から非難される恐れがある。厚労省幹部は「非公開は参加者を守る意味もある。全面公開したら委員のなり手がいなくなる」と話す・・・

公開する県が増えてきたのは良いことですが、それは問題の解決にはなりません。このような重要なことを、審議会が決めていることがおかしいのです。国会や県議会でも、審議のしようがありません。内閣なり県知事なり、政治が責任を持って決めるべきことです。「最低賃金千円に思う

50年前、50年後

週末に、もうじき1歳になる孫の乳母車を押して、散歩をしています。ふと思いました。この子が30歳になるときには、2052年、50歳では2072年、80歳になると2102年です。

私が今68歳です。50年前に大学に入り、卒業後は官僚を務めてきました。50年というと半世紀。長く感じますが、過ぎてみると短かったです。同じ50年でも、未来は長く感じ、過去は短く感じるようです。
採用されたとき23歳の青年にとって、事務次官や局長は雲の上の人であり、えらい年上でした。でも当時の次官や局長は55歳くらいです。今になると、68歳の私からは、「55歳は、まだまだ若いなあ」と思ってしまいます。

人間は、自分を中心に、自分の物差しでしか見ることができないのでしょう。
100年前は、遠い昔です。例えば今年は、関東大震災(1923年)から100年です。私は1955年生まれなので、遠い昔のこと、しかも戦前の出来事でした。亡くなった父は1921年生まれですから、父にとっては記憶がないにしても、同時代のことでした。

夏休み学童でお昼を出せれば

8月18日の朝日新聞「夏休み学童、お昼を出せれば… 保護者負担軽減へ自治体模索」から。

夏休みも終盤。放課後児童クラブ(学童保育)などに子どもを預ける保護者の中には、毎日の弁当づくりに悩んだ人も多いのでは。負担軽減のため昼食を提供する動きが広がる一方、要望があってもすぐには導入できない施設もあります。工夫を凝らし、子どもに食事を提供する全国の事例を探りました。

東京都三鷹市では、今年から市内すべての公設学童保育で、希望者に弁当が提供されるようになった。小学2年の子どもを通わせる女性(45)は「昨年は毎朝5時半に起きて弁当をつくり、苦行のようだった。つくらなくていい解放感がある」と話す。女性の子どもの学童保育では、弁当は1食550円。野菜が多く入っており、子どもも喜んで食べている。
今年から実験的に弁当を提供する自治体もある。仙台市では市内に112カ所ある公設の学童保育のうち4カ所で、夏休み中に弁当を提供するモデル事業を実施している。弁当は市内の障害者就労支援事業所がつくり、1食480円(大盛り500円)で、保護者がネットで事前に注文と決済をする。
東京都品川区も今月3日から試行的に、「すまいるスクール」1カ所で仕出し弁当を注文できるようになった。すまいるスクールは学童保育と放課後子ども教室を一体運営する区の事業で、放課後や夏休みなどに親の就労に関係なくすべての児童に学校施設を使って居場所を提供する。

こども家庭庁は6月末、夏休みなど長期休み中の学童保育における食事提供について、全国1633自治体を対象とした調査結果を発表した。5月1日時点の調査によると、状況を把握している995自治体にある1万3097カ所のうち、22・8%にあたる2990カ所が児童に昼食を提供していた。
提供方法について複数回答で尋ねたところ、「施設が外部から手配」が約6割を占め、「施設内で調理」は2割弱、「保護者会などが外部から手配」が1割強だった。同庁によると、自治体からは「食物アレルギーの児童もいるため一律の食事提供は難しい」といった声があがっているという。

ども家庭庁は長期休み中の食事提供について、地域の実情に応じた昼食提供を呼びかけている。担当者は「弁当を子どもにつくりたいという親もいれば、弁当づくりを負担に感じる親もいる。選択肢を用意して選べるようにできればいい」と話す。
7月には課題解決のヒントになるように、学校給食センターを活用した取り組みなど、全国の六つの事例をまとめ、各自治体に周知した。
その一つが島根県益田市にある公設民営の学童保育「どんぐり児童クラブ」だ。運営するのは社会福祉法人「暁ほほえみ福祉会」で、同法人が運営する認定こども園でつくったおかずを、長期休みや土曜日は学童保育を利用するすべての子どもに1食200円で提供しているという。
同法人理事長の山根崇徳さんは「こども園の給食は地元の野菜を使った和食中心のメニュー。学童の子どもにも安心安全なものを提供したい」と話す。「ごはんとみそ汁くらいは自分でつくれる子になってほしい」という願いのもと、ごはんと汁物は施設内で子どもとスタッフが一緒に調理しているという。

BRICS、恨みが共通軸

8月30日の日経新聞に、ジャナン・ガネシュさんの「BRICS、「恨み」が共通軸 権威に憧れや承認欲求も」というファイナンシャルタイムズの記事が転載されていました。

・・・ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ(BRICS)によるサミット(首脳会議)が8月下旬、南アフリカで開催された(編集注、サウジアラビアやイランなど6カ国が新たにBRICSに参加することが決まった)。これらの非西側諸国をまとめている理念、あるいは戦略的な利益はあるのだろうか・・・

・・・BRICS、またはグローバルサウス(南半球を中心とする途上国)はどのような枠組みを標榜しているのだろうか。もし自由貿易に積極的でない場合、世界最大の輸出大国である中国は参加国としてこの問題にどのような立場を取るのか。
いずれの問いも適切な答えは見つからないはずだ。なぜなら、多様なBRICSの国を結びつけている共通点があるとすれば、それは「恨み」だからだ。西側の優位に対する怒り、過去の屈辱に対する鬱憤だ。そして、政治と人生を突き動かす力として、恨みはあまりにも過小評価されている。
膨大なエネルギーを生み出すとされる核融合に取り組んでいる物理学者には失礼かもしれないが、活用可能となった場合に宇宙で最も強力なエネルギー源があるとすれば、それは人間の恨みだと筆者は考える。

哲学者のニーチェは恨み(ルサンチマン)が世界を動かしていると論じた(ニーチェは第1次世界大戦の敗北で募った恨みがナチスドイツの台頭へとつながり、同胞のドイツ人を暴挙に駆り立てたことは見届けられなかった)。
ソ連時代から縮小した帝国となりルサンチマンを抱えていることを知らずして、現代ロシアは理解できない。
地政学から個人へ視点を移すと、恨みはさらに多くのことを引き起こしてきた。例えば、多くのポピュリスト(大衆迎合主義者)の指導者が、相対的にアウトサイダーといえる存在であることに注目すべきだ。
こうした指導者は大抵の基準に照らせば恵まれてきたが、「仲間」だとみられたい層からは疎んじられてきたと感じてきた・・・

・・・恨みは憎しみと同じではない。憎む人は、憎しみの対象と一切関わりを持ちたくない(国際テロ組織アルカイダの西側に対する態度を思い浮かべるといい)。
対照的に、恨む人は恨んでいる対象に半ば興味を持っている。ファラージ氏は明確に、罵詈(ばり)雑言を浴びせるエスタブリッシュメント(支配層)から承認されたいと思っている。
同様に、BRICS諸国のエリート層はロシア人に限らず、英ロンドン、南仏コートダジュールの高級保養地、フランスとイタリアの高級品、米国の大学をよく利用する。
ロシアのウクライナ侵攻に関する世界的な世論調査から判断すると、世界の大部分は西側のことを傲慢で偽善的だと考えている。一方で、西側は世界の大部分の人が移住したいと思っている場所でもある・・・