8月15日の日経新聞オピニオン欄、小竹洋之コメンテーターの「終戦の日に考えたい寛容 価値の分断越えるリアリズムを」から。詳しくは原文をお読みください。
・・・第2次世界大戦の終結から78年。私たちは「パーマクライシス(永続的な危機)」とも「ポリクライシス(複合的な危機)」とも評される時代に行き着いた。
地政学、経済、地球環境などの危機は、そろって長期化の様相を呈する。しかも複数の危機が共鳴し、個々のリスクの総和を上回る惨事に発展しかねない。
権威主義国家が生み出す安全保障上の危機は、とりわけ深刻だ。ロシアのウクライナ侵攻は1年半に及び、中国による台湾制圧の危険さえ迫る。核開発に動く北朝鮮やイランなどを含め、世界の「火薬庫」は四方八方に広がる。
これに対抗する民主主義国家もほめられたものではない。新型コロナウイルス禍やインフレで痛手を負った米欧の内向き志向は強まり、自国第一の政治が幅を利かす。人種や性、学歴などを巡る社会の分断も深まる一方だ。
米人権団体のフリーダムハウスが世界195カ国・15地域の自由度を算定したところ、「悪化」の数は「改善」を17年連続で上回った。権威主義の伸長だけでなく、民主主義の劣化がもたらす危機も憂慮すべき状況である。
民主主義を意味するギリシャ語の「デモクラティア」は、デモス(民衆)とクラティア(権力)の造語とされる。米国のトランプ前大統領をはじめ、抑圧的で排他的な指導者が助長した権力のゆがみは看過できない。だが彼らの台頭を許した民衆の緩みにこそ、本質的な問題があるように思う・・・
・・・私たちはどう振る舞うべきか。「不寛容論」などの著書で知られる東京女子大学の森本あんり学長(神学者)に尋ねてみた。
「寛容というのはきれい事ではない。自分とは異なる人、自分が否定するものを、渋々受け入れるところに本来の姿がある。不寛容の存在を認めない姿勢や、周囲に関心を持たない無寛容の姿勢から、真の寛容は生まれない」
「勝者が敗者をぎりぎりまで追い詰めず、カムバックのチャンスを残しておく。それが民主主義のありようではないか。アイデンティティーや価値観の問題に踏み入ると、徹底的に戦おうという方向になりがちだが、理想を性急に追いすぎないのが賢明だ」・・・