8月6日の読売新聞文化欄「コロナの時代を読む」、苅部直東大教授の「飲食店冷遇 苦い記憶」から。
・・・結果から言えば、日本は高齢者が多いにもかかわらず、人口あたりの死者が少なかった。政府や、医療機関、高齢者施設が頑張ったと言えます。市民の努力もあった。マスクを着け、多くの人が在宅勤務に切りかえました。
いちおうそう評価した上で問題を挙げるなら、飲食店を明らかに締め付け過ぎました。ウイルスの性質がまだわからず、ワクチンができるかどうかも不明だった時期はしかたがないとしても、その後まで営業を規制し続けた。午後8時までの時短営業の時期に、お店に行ったら、かえって混んでいて「密」になっていましたね。
『日本の水商売』を書かれた法哲学者の谷口功一さんは、コロナ下で、日本各地のスナックを中心に夜の街を取材しました。その終章で、個人にとって重要な「営業の自由」などの経済的自由が、あまりに軽視されていると問題提起しています。メディアは「表現の自由」には敏感ですが、飲食店の営業権の問題には冷たかった。個人が店を円滑に営業できることだって、基本的な権利として守られるべきなのに、低く見られている。人間の権利とは何かについて、真剣に考えてきたかが問われていると思います・・・
・・・ロックダウンをせず、自粛などの「要請」にとどめたのが日本型のコロナ対策でした。でもそのせいで補償が不十分になりました。行政の側は、とにかく何か「やってる感」を出さなければいけなかったのでしょう。その手段として飲食店と夜の街を槍玉にあげたのは筋が悪かった。
行政では最近、結果がきちんと出ているかを数値で検証して、政策の善し悪しを測ることがはやっています。その発想は大事ですが、数字に表れる効果がすべてではないし、長期的な意義はそうした検証では測れない。限界のある発想であることに気づかないまま、それに依拠していると、「悪い結果を出したくない」という消極的な判断にばかり向かってしまう。その結果、一部の人からの批判を過剰に恐れ、飲食店をはじめとする大多数の人たちが迷惑を被るという、おかしなことになっています・・・