机の上の洪水

先日のことです。執務机に置いてあったコップを取って、水を飲もうとしました。コップは仕事の邪魔にならないように、手前ではなく手を伸ばせば届く距離に置いてあります。これが、裏目に出ました。

冷水だったので、コップの表面に水滴がついていたこともあるのでしょう、手が滑り、コップが傾きました。「アカン」と思って、コップの傾斜を立て直そうとしたら、さらに悪いことに、積んである書類に向かって倒れてしまいました。
コップには、なみなみと水をくんであったのですが、それがほぼすべてこぼれました。そこで、ほかにも机に広げてあった書類が、水浸しになりました。

ぞうきんを持ってきて、机と書類を拭き、濡れた書類は干しました。幸いなことに、書籍には被害がなく、読もうと思っていた文書や、書きかけの文書なので、大きな問題は生じませんでした。干した紙はシワシワになって、反っくり返っていました。
横着は、してはいけませんね。

他人の配偶者を何と呼ぶ。「妻さん」「夫さん」?

6月15日の日経新聞夕刊に「他人の配偶者を何と呼ぶ 「妻さん」「夫さん」悩ましく」が載っていました。

他人の配偶者を何と呼ぶか。記者が取材するときにも悩ましい問題だ。上下関係がにじむ「奥さん」や「ご主人」を使いにくいと感じる人は多い。だが、「妻」「夫」は相手には使えない。そこで「妻様」「夫様」という新語も出始めている。男女を限定しない「パートナーさん」や「お連れ合い」が広がる可能性もある。変化の現場を追った。

日経xwomanの2021年の調査では、他人の男性パートナーの呼び方では「旦那さん」が47%、「ご主人」が24.4%と多く、「夫さん」は7.3%。女性パートナーでは「奥さん」が73.8%と圧倒的に多く、「妻さん」はわずかに1.8%だ。

夫婦への接客が多い営業の現場はどうだろう。
積水ハウスでは「奥様、ご主人は使わず、何と呼べばいいか尋ねるケース、お名前で呼ぶケースがある」(広報室)という。京都の中村さんのお願いを先取りした形だ。また「目を見て話せば分かるので、あえて呼称を使わないこともある」。アンケートの続柄欄には「パートナー」を加える工夫もしている。
三越伊勢丹ホールディングスでは「お連れ様という呼称を使う場合もある」(広報・IR部)。社内では「ユニバーサルマナーのハンドブックを定めて呼称だけでなく接客レベルの向上に努めている」という。
全日本ホテル旅館協同組合の中村克次事務局長は「現場に指導しているわけではないが、個人的には男女の性別に関係なくフラットに使える『ご家族の方』がいいと思う」と話す。脱「奥様・ご主人」の動きは広がっているようだ。

「ご主人」への違和感を訴える声は昔からあった。有名なのは戦後間もない1955年に行われた第1回日本母親大会。評論家の丸岡秀子さんが「主人と呼ばず夫と呼ぼう」と提唱した。遠藤さんによると、「主人」が使われたのは明治以降で、「戦前まで、配偶者を『主人』『ご主人』と呼ぶ人は、インテリ層のごく一部の人だけだった」という。
つまり封建的な響きを持つ「ご主人」は戦後のわずか10年で定着していったと考えられるわけだ。遠藤さんは「戦後民主主義の中で、少し気取った言い方の『主人』をまねる人が増えたのではないか」と説明する。民主化の流れの中で「男言葉、女言葉はやめよう」という主張が男性からあったが、「女性リーダーが『女言葉は美しい』と、その平等主義の流れを止めてしまった歴史のパラドックスもある」と指摘する。

職場での面談、2つの場合

公務員の業績評価に際し、期首と期末に上司との面談が行われます。私は、この仕組みはよいことだと評価しています。
導入当初は「面倒だ」と思いましたが、部下に今期の仕事の目標を確認する、そして達成度を確認する上で、必須です。「ふだん一緒に仕事をしているから大丈夫」ではないのです。

他方で、上司には言いにくいことがあります。上司と部下がうまくいっていない場合、その面談は形式的になります。
極端な例が、上司が原因となって部下が心を病む場合です。上司は、自分は正しく、部下ができが悪いと考えます。しかし実態は、上司が悪く、部下が被害者の場合もあります。
さて、このような場合に、面談をどのようにしたら機能するようになるのか。難しいですね。

汚染者負担、国の責任とは

6月15日の朝日新聞夕刊「取材考記」、大鹿靖明・編集委員の「チッソも東電も「汚染者負担」国の責任とは」から。

・・・水俣病の原因企業チッソの責任を認めた最初の判決から50年経つ。それなのに、いまも被害者との間で争いが続くのは、政府の対策が不十分だからである。
政府は、水俣病被害者への補償や環境対策について「汚染者負担の原則」という考えに依拠してきた。環境を汚染したものが費用を負担せよ、という思想である。経済協力開発機構(OECD)が1972年、環境政策の指導原則に採択し、日本では公害の原因企業に責任を負わす根拠となってきた。チッソも、原発事故を起こした東京電力も、この原則が適用されている。「けしからんことをした企業に責任をとってもらうという考え方です」と財務省幹部は説明する。

だが、企業の補償能力を超える環境被害が起きたときに、どうするか。水俣が突きつけたのは、それだった。チッソは自力で費用を工面できなくなり、73年には債務超過に陥った。ふつうは経営破綻となるが、国はそうさせず、資金を「貸す」政策が採られた・・・

・・・霞が関では「汚染者負担の原則はグローバルスタンダード」と思われてきたが、実は日本は「特殊」なのだ。OECDが唱えた「汚染者負担の原則」は、例えば汚染排出企業に賦課金を課せば、企業はそれを免れるため自主的に予防対策に充てるようなケースを想定し、「予防費用を市場経済メカニズムに組み込んで解決を図るもの」(大阪公立大の除本理史教授)とされる。それに対して日本の「汚染者負担の原則」には、補償や原状回復費用、さらに倫理的責任など広く包含された。「加害企業が永遠に責任を持てという社会の声に適合した」と慶応大の遠藤典子特任教授。結果的に公害企業が一義的責任を負い、国が責任を回避する原則となってきた。

56年の水俣病公式確認後、チッソの工場排水が疑われたが、旧通商産業省はチッソを擁護し、排水が止まったのは68年。この間、被害が拡大した。国(通産省)の責任は重大だが、「汚染者負担の原則」からチッソが矢面に立つ。東電も同じ構図にある・・・

立命館大学法学部「公務行政セミナー」講師2

先日行った「立命館大学法学部「公務行政セミナー」講師」の学生感想文を読みました。講義の数日後に送られてきたのですが、すべてに目を通すのが遅れました。学生たちは、真面目で礼儀正しいですね。

大震災での被災者支援や復興での仕事については、学生たちは小学生低学年だったので、目新しかったようです。それ以上に、反応が良かったのが、公務員や社会人としての経験談と注意点でした。どうしたら悩まなくてもすむか、悩んだときはどうすればよいのか。学生時代やっておくべきことは何か。自分を磨くにはどうしたらよいか。新聞の読み方など。

かつて慶應義塾大学法学部に出講していた時も、そのような話が学生に受けました。そうですね、私の経験からしても、学生時代は何も知りませんでした。この職業に就いてから、さまざまな経験と失敗をして、今の私ができました。「人間修養道場
私の経験を伝えて、悩む人が少しでも減ったら、うれしいです。『明るい公務員講座』は、その趣旨で書いたものです。