外国人労働者の受け入れ

6月17日の読売新聞が「特定技能2号 9分野追加 人手不足 外国人材で打開」を解説していました。

・・・政府は9日、外国人労働者の在留資格「特定技能2号」の対象を現在の2分野から11分野に広げる方針を閣議決定した。人口減少と少子高齢化に伴う人手不足が深刻化しており、経済界の要望を聞き入れた。外国人労働者の安定的な受け入れには課題も多い。
特定技能制度は国内の深刻な労働力不足に対応するため、2019年4月に導入された。一定の技能が必要な特定技能1号と、熟練技能が求められる特定技能2号がある。今年3月末時点で1号の在留者は15万4864人。2号の在留者は11人しかいない・・・
・・・特定技能1号取得には原則、日常会話程度の日本語能力の試験と、就業分野の知識・技能に関する試験の両方に合格する必要がある。さらに、就業分野に関する難易度の高い試験を突破して2号に移行すれば永住への道が開ける。
1号の対象分野は12分野。このうち2号の対象分野でもあるのは「建設」「造船・舶用工業」の二つだけだったが、「自動車整備」「航空」「宿泊」「農業」「漁業」など9分野も追加されることになった。1号の「介護」は、長期就労可能な別の在留資格があるため加えなかった。
政府が2号の対象を拡大するのは、制度導入後も続く国内の各業界での労働力不足を踏まえたものだ・・・

・・・来年春以降、1号の労働者らが順次在留期限を迎えるため、経済界などから「熟練技術を持つ人材に引き続き現場を支えてもらいたい」といった要望が相次いだことも政府の判断を後押しした。
2号の対象拡大を巡っては、自民党の保守派などからの反発が予想された。制度を導入する際の議論では、「事実上の移民政策だ」といった声が相次いだためだ。
ところが自民が5月に開いた外国人労働者等特別委員会などの合同会議は、波乱もなく政府案を了承。出席者から2号の対象分野拡大に異論は出なかったという。同委員会で事務局長を務める笹川博義衆院議員は「皆が、人材が不足しているという危機感を持っていた」と振り返った。
2号の対象拡大について、経団連の十倉雅和会長は5日の記者会見で、「日本の生産年齢人口は減少傾向にある中、外国人労働者、特定技能を持った方は非常に重要で、歓迎すべきだ」と語った・・・

政府は「移民政策はとらない」と説明してきたようですが、事実上そして徐々に政策は転換しています。これも、日本型の政治過程と言えるでしょう。

川北英隆先生のブログ

川北英隆先生のブログ、興味深い話や勉強になる話を、書き続けておられます。前にも紹介したことがあります。「日本的思考パターンへの苦言

先生の専門である投資の話「投資にうまい話は絶対ない」や社会批評「銀行窓口の変貌に驚く」も勉強になりますが、なんと言っても楽しみは山歩きの記です。精力的にいろんな山を歩いておられます。

本格的な高山の登山ではなく、近場の歩きやすい山のようです。京都の近くに、こんなところがあるのだと驚きます。私にも、行けそうですが。「湖南アルプス堂山
山の写真とともに、花や木の写真が楽しみです。例えば「虚空蔵山の花」。
京都も暑いそうです。

人工知能が新たな人類の脅威に

6月18日の読売新聞「あすへの考」、大塚隆一・編集委員の「生成AI 新たな人類の脅威」から。

人間が書いたような文章を作ることができる生成AI(人工知能)の利用が急拡大している。一方で「人類や文明の存続を脅かす」などの警鐘も相次ぐ。なぜ、それほど恐れるべきなのか。核兵器や気候変動など他の脅威と何が違うのか。それらとの比較で何が見えてくるのか。

「人類存亡の脅威」と聞くと、何を思い浮かべるだろうか。
自然がもたらす破局的な脅威には小惑星の衝突や超巨大火山の噴火などがあるが、ここでは人間の活動、特に技術や産業の発展で生じた脅威を取り上げたい。
具体的には「気候変動」「核兵器」「遺伝子の改変」「人工知能(AI)」の四つだ。程度の差はあるが、どれも人類の存続を揺るがすリスクをはらむ。

一方、「遺伝子の改変」は「命」の謎解きに挑む生命科学が生んだリスクだ。特に近年、遺伝子を自在に操作できるゲノム編集が登場したことで懸念が強まった。
この技術を人の生殖細胞や受精卵に使い、遺伝子を望み通りに変えた「デザイナーベビー」を誕生させるとどうなるか。改変の影響は子々孫々まで残る。専門家は人類の多様性や進化に未知の問題を生じさせかねないと危惧する。
もちろん科学技術や産業の発展は多大な恵みをもたらしてきた。
数次の産業革命で私たちの暮らしは豊かになった。核エネルギーは原子力という新しい電源を生んだ。核融合にも期待が集まる。
遺伝子の研究は難病の治療や新薬の開発、作物の品種改良などでめざましい成果を上げてきた。
だが人類は、恵みと引き換えに、扱いを誤れば自らの生存を危うくするリスクを背負った。
いわば、災いが詰まった「パンドラの箱」を開けてしまった。

「人工知能」のうち、いま話題の「生成AI」は「知」の分野の驚くべき成果だ。代表格の対話型AI「チャットGPT」は人間のような巧みさで「言語」を操る。
それゆえ、脅威にもなりうる。こちらの「パンドラの箱」はどんな災いをもたらすのか。
政府のAI戦略会議は先月、懸念されるリスクとして、偽情報の氾濫、犯罪の巧妙化、著作権の侵害など7項目を挙げた。
一方、イスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリ氏は英誌エコノミストで、「言語」が人類の文明を築いてきたことを考えれば、生成AI問題はもっと「大きな構図」で捉えるべきだと論じた。
「民主主義は対話であり、対話は言語による。AIが言語を乗っ取れば、有意義な対話、すなわち民主主義は破壊されかねない」
さらに「核兵器は文明を物理的に破壊できる」が、生成AIは「私たちの精神世界と社会」を滅ぼす「新しい大量破壊兵器」になりうる、とまで指摘した。
もちろんハラリ氏も、生成AIが社会の抱える様々な課題の解決に役立つ可能性は認めている。
しかし今は、その能力を見極め、規制を優先すべき時だと訴える。

庭園の背景

今に残る大名庭園など、東京にも美しい庭園がいくつかあります。小石川後楽園、芝離宮恩賜公園、浜離宮恩賜公園、清澄庭園、新宿御苑、駒込六義園・・・。
私も好きで、いくつも行きました。東京の都心で、よく残ったものだと感心します。残してくださった関係者に感謝しなければなりません。

庭園の中を見ていると気持ちが良いのですが、少し目線を上げると、ビルやマンションなど高い建物が、目に入ります。それも、敷地の境界近くまで迫っています。庭園を紹介したパンフレットなどでは、それらが入らないように、上手に写真を撮ってありますが。マンションなどは、そこから庭園を見下ろす眺めを売りにしているものもあるのでしょうね。

中世の庭園に、借景という技法があります。京都のお寺で、庭木の向こうに比叡山が見えて、それと一体として広く景色を楽しむ手法です。他方で、この隣接高層マンションは、庭園の景色をぶち壊す、「破景」と言ったら良いのでしょうか。「法令の範囲内で建てているから問題ない」のでしょうが。

首相官邸も、同じ問題を抱えています。写真を撮ると、後ろに大きなビルが映るのです。なにか、味気ないですね。そして、周囲のビルから見下ろされる首相官邸って、威厳がなくなります。さらに、警備上の問題もあります。

サッカー・Jリーグ30年

1993年5月15日にサッカー・Jリーグが開幕し、30年になりました。報道がいくつも伝えていました。例えば、5月14日の朝日新聞「J30周年、スポーツをどう楽しむか道半ば 川淵三郎さん」(すみません、遅くなって)。

・・・1993年5月15日に開幕したサッカー・Jリーグは、日本のスポーツ界に大きなインパクトを与えた。「スポーツで幸せな国へ」という志が共感を呼んだのは間違いない。では、そんな社会は実現したのか。果たして社会を変える力はスポーツにあるのか。Jが30歳の誕生日を迎える今、初代チェアマンだった川淵三郎さん(86)に聞いた。

――この30年の日本スポーツ界の変化を、どう見ていますか。
「地域に根ざしたスポーツクラブをつくり、いつでもスポーツを楽しめる場所を全国につくるのがJリーグの理念。30年前、日本は『スポーツ三流国』だと僕は思っていた。スポーツを本当の意味でエンジョイできる国ではなかったんでね。今は、二流国くらいにはなったかな」
――「スポーツでもっと幸せな国へ」と掲げました。
「スポーツすれば得しますよ、と伝えたかったんです。多くの人とコミュニケーションできて、知り合える。人生の楽しみが膨らむ。そういうことが(30年前は)なかなか伝わらなかったし、実感できる国ではなかった。会社人間でよほどのことがないと趣味も満喫できず、人生、損してますよと」
――Jリーグによるサッカーのプロ化は、日本代表の強化を進めたという評価が一般的です。
「みなさん、そっちが中心だと思い込んでいるけど、それより、草の根の多くの人たちがスポーツを楽しめる社会になってほしいというのが昔も今も僕の最大の夢であり、希望なんだ。地域社会に根ざしたスポーツクラブが中学校の数くらいできて、その中心にJクラブがあるというイメージを30年前に描いていたんですよ」
「この30年は、かなり良い30歩。予想外というか最大の喜びは(クラブが企業や行政とともに地域貢献に取り組む)社会連携活動だね。60に増えたJクラブが年間2万件以上も実施している。単純計算で各クラブが1日1回やっていることになる」
「これからは、全国に100のJクラブができて『する、見る、支える』の『する』に多くの人が参加することを期待しています」

当時のことを、覚えています。私も高校ではサッカー少年でした(下手なゴールキーパーです)。相撲と野球以外のスポーツが、プロとして成り立つとは思えませんでした。もちろん、ワールドカップに常時出場するなんて・・。
しばしば行った店で、川渕さんとお会いして話を聞く機会が何度かあり、その情熱に負けた思い出もあります。