1993年5月15日にサッカー・Jリーグが開幕し、30年になりました。報道がいくつも伝えていました。例えば、5月14日の朝日新聞「J30周年、スポーツをどう楽しむか道半ば 川淵三郎さん」(すみません、遅くなって)。
・・・1993年5月15日に開幕したサッカー・Jリーグは、日本のスポーツ界に大きなインパクトを与えた。「スポーツで幸せな国へ」という志が共感を呼んだのは間違いない。では、そんな社会は実現したのか。果たして社会を変える力はスポーツにあるのか。Jが30歳の誕生日を迎える今、初代チェアマンだった川淵三郎さん(86)に聞いた。
――この30年の日本スポーツ界の変化を、どう見ていますか。
「地域に根ざしたスポーツクラブをつくり、いつでもスポーツを楽しめる場所を全国につくるのがJリーグの理念。30年前、日本は『スポーツ三流国』だと僕は思っていた。スポーツを本当の意味でエンジョイできる国ではなかったんでね。今は、二流国くらいにはなったかな」
――「スポーツでもっと幸せな国へ」と掲げました。
「スポーツすれば得しますよ、と伝えたかったんです。多くの人とコミュニケーションできて、知り合える。人生の楽しみが膨らむ。そういうことが(30年前は)なかなか伝わらなかったし、実感できる国ではなかった。会社人間でよほどのことがないと趣味も満喫できず、人生、損してますよと」
――Jリーグによるサッカーのプロ化は、日本代表の強化を進めたという評価が一般的です。
「みなさん、そっちが中心だと思い込んでいるけど、それより、草の根の多くの人たちがスポーツを楽しめる社会になってほしいというのが昔も今も僕の最大の夢であり、希望なんだ。地域社会に根ざしたスポーツクラブが中学校の数くらいできて、その中心にJクラブがあるというイメージを30年前に描いていたんですよ」
「この30年は、かなり良い30歩。予想外というか最大の喜びは(クラブが企業や行政とともに地域貢献に取り組む)社会連携活動だね。60に増えたJクラブが年間2万件以上も実施している。単純計算で各クラブが1日1回やっていることになる」
「これからは、全国に100のJクラブができて『する、見る、支える』の『する』に多くの人が参加することを期待しています」
当時のことを、覚えています。私も高校ではサッカー少年でした(下手なゴールキーパーです)。相撲と野球以外のスポーツが、プロとして成り立つとは思えませんでした。もちろん、ワールドカップに常時出場するなんて・・。
しばしば行った店で、川渕さんとお会いして話を聞く機会が何度かあり、その情熱に負けた思い出もあります。