朝日新聞に連載された「語る 人生の贈りもの」、環境工学者・中西準子さんの第13回は「情けない、基準値も決められぬ国」でした。第7回は「助手の研究と発言を止めようとする教授」。
リスク管理には二つの異なる考え方が同居しています。ある許容値(閾値〈いきち〉)以下なら安全だとする考え方と、許容値がなくリスクをゼロにしなければならないという考え方です。前者は食品の安全性など、後者は事故や災害、病気などにつながる放射線や発がん性物質に適用されます。ただ、リスクをゼロにしようとすると社会経済活動が止まってしまう場合があり、リスクに対するベネフィット(利益)を見極め、この程度のリスクは仕方がないと決める必要がある。でも、国がその基準値を決められずにいるのが事故後の日本です。
除染作業は長期化し、費用もかさみました。残念ながら帰還者は限られ、うまくいったとは言えません。失敗の原因は私が見るところ、数値目標の議論が迷走したことにあります。国は当時、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告を根拠に、当面は年間追加被曝線量20ミリシーベルトが目標で、長期的には1ミリシーベルトを目指すと説明しました。私は、20ミリよりも低く1ミリより高い現実的な目標値を設定すべきだと考え、13年に日本学術会議のシンポジウムで5ミリシーベルトを提案しました。
住民の多くが早く帰還し、新しい生活を始めるという大きなメリットが得られるなら、ある程度のリスクは我慢した方がいいのではないか。2年以内に帰還できるのは、例えば2・5ミリシーベルトを目指せば約8万6千人(2010年国勢調査)中3万人でしかないが、5ミリシーベルトなら約7万人になる。リスクがさほど大きくない範囲で避難者の「時間」を少しでも取り戻したいと考えました。でも、誰も声を上げませんでした。「勇気がありますね」と言うだけ。がっかりしました。
海外の基準に頼り、日本独自で決めて国民にリスクを説明することができない。しみじみ情けない国です。