6月11日の読売新聞「あれから」は、一太郎プログラマー浮川初子さんの「順風一転「ワード」が襲来」でした。
・・・「本当によく稼いでくれました」。徳島市のソフトウェア開発会社「ジャストシステム」の専務で、プログラマーだった浮川初子さん(72)は、しみじみ語る。
日本語の文書作成に主にワープロ専用機が使われていた当時、一太郎は、パソコンで同じことを可能にする画期的なソフトだった。
ローマ字での仮名入力、長い文章を一気に変換する「連文節変換」機能、頻出単語が上位にくる辞書——。ソフトの心臓部が「ATOK(エイトック)」と名付けた日本語入力システムのプログラムだ。ソフト本体から独立して動き、ATOKがあれば、他社のソフトでも日本語入力ができる。
発売当初の一太郎は定価5万8000円。年1万本売れれば「ヒット」だった時代に、1年足らずで3万本を突破し、10年以上もベストセラーに君臨した。
IT関連出版を手がけるインプレス編集長の藤原泰之さん(52)は「縦書き、原稿用紙にも対応したまさに日の丸ソフト。官公庁や学校でも広く使われ、国内でのパソコンの普及を強力に後押しした」と、一太郎が果たした役割を熱く語る・・・
・・・しかし、業界地図を一変させる出来事が起きた。95年の「ウィンドウズ95」の発売である。
ビル・ゲイツ氏率いる米マイクロソフトが開発したこの基本ソフト(OS)によって、パソコンは画面をクリックするだけでソフトを起動、インターネットに接続できるようになり、劇的に使い勝手が向上した。
日本でも同年11月から販売が始まり、4日間で20万本を売り上げた。
脅威だったのは、マイクロソフトが、OS人気を背景に一太郎と競合する同社のワープロソフト「ワード」の販売攻勢をかけたことだった。「日米のソフト大手の覇権争い」とメディアが書き立て、各社が「標準ソフト」をワードに急速に切り替え始めた。
マイクロソフトの手法はOSやソフトの抱き合わせ販売ではと日米で問題視され、日本では98年、一部が独占禁止法違反と指摘されたが、すでに遅かった。
ジャストシステムはこの年、赤字に転落。研究費や人員を削減し、営業に力をいれて10億円、20億円を稼いでも、「標準ソフト」の地位を奪われては焼け石に水だった・・・
あの抱き合わせ販売は、独禁法違反でしたよね。でも、日本語入力は断然、一太郎とATOKが便利です。私は一太郎です。一太郎を入れていない組織や人が多く、その人たちに送る際にはワードに転換しています。「文房具へのこだわり」