『世界がわかる資源の話』

鎌田浩毅著『世界がわかる資源の話』(2023年、大和書房)を紹介します。
宣伝文には、次のように書かれています。
「電気代高騰も、異常気象も、ウクライナ侵攻も、新ビジネスも、私たちの食生活も、ぜんぶ「資源」で読み解ける! ”科学の伝道師”である鎌田浩毅京大名誉教授がおくる、新時代の教養本」

「新時代の教養本」という表現がよいですね。自然科学の分野も、日進月歩です。そしてそれが、私たちの生活に大きな影響を及ぼします。「専門書は難しい」「新聞の解説ではよくわからない」ということが多いです。その際に、このような解説書が役に立ちます。
取り上げられている各主題も、水、木、エネルギーなど身近なもので、文章はいつものように読みやすいです。鎌田浩毅先生は、ますます元気のご様子です。

154ページに「エコバッグは無意味?」との記述があります。
海洋プラスチックごみの多くは漁網とペットボトルなどで、レジ袋は全体の0.3%でしかないのだそうです。
デンマークのある機関の調査では、紙袋は43回、オーガニックコットンのバッグは2万回使わないと元が取れなとのこと。レジ袋を製造している会社は、原料のポリエチレンが石油を精製する際に必然的にできるため、資源の無駄にはならないと主張しているのだそうです。
問題は、レジ袋やペットボトルのポイ捨てにあるのでしょうね。

基準値も決められぬ国

朝日新聞に連載された「語る 人生の贈りもの」、環境工学者・中西準子さんの第13回は「情けない、基準値も決められぬ国」でした。第7回は「助手の研究と発言を止めようとする教授」。

リスク管理には二つの異なる考え方が同居しています。ある許容値(閾値〈いきち〉)以下なら安全だとする考え方と、許容値がなくリスクをゼロにしなければならないという考え方です。前者は食品の安全性など、後者は事故や災害、病気などにつながる放射線や発がん性物質に適用されます。ただ、リスクをゼロにしようとすると社会経済活動が止まってしまう場合があり、リスクに対するベネフィット(利益)を見極め、この程度のリスクは仕方がないと決める必要がある。でも、国がその基準値を決められずにいるのが事故後の日本です。

除染作業は長期化し、費用もかさみました。残念ながら帰還者は限られ、うまくいったとは言えません。失敗の原因は私が見るところ、数値目標の議論が迷走したことにあります。国は当時、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告を根拠に、当面は年間追加被曝線量20ミリシーベルトが目標で、長期的には1ミリシーベルトを目指すと説明しました。私は、20ミリよりも低く1ミリより高い現実的な目標値を設定すべきだと考え、13年に日本学術会議のシンポジウムで5ミリシーベルトを提案しました。

住民の多くが早く帰還し、新しい生活を始めるという大きなメリットが得られるなら、ある程度のリスクは我慢した方がいいのではないか。2年以内に帰還できるのは、例えば2・5ミリシーベルトを目指せば約8万6千人(2010年国勢調査)中3万人でしかないが、5ミリシーベルトなら約7万人になる。リスクがさほど大きくない範囲で避難者の「時間」を少しでも取り戻したいと考えました。でも、誰も声を上げませんでした。「勇気がありますね」と言うだけ。がっかりしました。
海外の基準に頼り、日本独自で決めて国民にリスクを説明することができない。しみじみ情けない国です。

サントリーみらいチャレンジプログラム、記者発表

今日6月29日は、サントリーみらいチャレンジプログラムの記者発表に、福島まで行ってきました。先日審査した結果、今年度の助成先の発表です。

私の役割は、審査員として選定過程を話すことですが、この支援の意義も話してきました。
すなわち、被災地の復興に携わった際に、道路や住宅などのインフラ復旧だけでは街の暮らしは戻りませんでした。買い物の場と働く場が必要であり、さらにつながりを絶たれた住民に、つながりやコミュニティを作ってもらう必要がありました。これは、行政には難しい仕事であり、またお金ではつくることができません。
サントリーの支援は、この部分を補ってくれるのです。ありがとうございます。どのような企画を選んだかは、発表資料を見てください。

このような活動があることを、広く県民のみなさんに知ってもらって、理解してもらうとともに、参加して欲しいです。

高校生の就活

朝日新聞夕刊「現場へ!」は、6月12日から「フレーフレー就活高校生」を連載していました「1学歴のバリア、打ち破ろう」。

・・・まずは「三和建設」。
大阪市淀川区に本社がある中堅ゼネコンである。創業は1947年、社員は165人。
工事部門のリーダー、参鍋(さんなべ)広志(43)は大阪生まれ。家は裕福ではなかったので、大学進学という選択肢はなかった。工業高校で建築を学び、先生のすすめで三和建設へ。
建築工事の現場は、朝が早かったり、夜が遅かったり。休み返上もざら。2年目のある日、参鍋は上司に告げた。
「会社やめます。この仕事、自分にあってません」
上司は言った。
「たかが2年で、この仕事の何が分かるんや。オモロいと思えることが、きっとある」
仕事をつづけてみた。工事計画をつくり、その通り完成させる達成感が、やみつきに。
ゼネコンの仕事が楽しくなってくると、参鍋には、新たなモチベーションが生まれた。
同期入社は12人。高卒は参鍋ら2人、あとは大卒。参鍋は出世、同期の大卒のほとんどは会社をやめていった。

参鍋が2年目に「やめたい」と告げた相手は、辻中敏(51)。彼も高卒、いまは専務、会社のナンバー2だ。
辻中の父が建築業を営んでいて、子どものころから現場に入り浸った。大手ゼネコンから監督としてやってくる若者が、父や職人たちに偉そうにしている。辻中少年は誓った。
〈いつか、あの場所に立つ。でも、偉そうにはしない〉
京都の工業高校へ。親も先生も大学進学をすすめた。「なりたい自分への早道は就職」と考えた辻中は、高校にすすめられた三和建設に入った。
いくつもの現場で監督をつとめた。もちろん、上から目線は排除、である。
そんな辻中の高校の後輩、冨川祐司(33)は、20代半ばから異例のスピードで現場監督をつとめる。冨川のモチベーションも、昇進して大卒同期を追い抜くこと。分からないことは辻中や参鍋たちに聞いては実践、を繰り返して今がある。
三和建設の役員と経営幹部、その4分の1が高卒である。学歴は関係なく、入社後の成長がすべてだ・・・

職業や職種によっては、学歴が関係ないものも多いです。そして、大学で学んだのが一般教養では、職業に役に立つことは少ないでしょう。

『中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史』2

中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史』の続きです。
紹介文には、「中国の歴史は、統一王朝時代と分裂時代の繰り返しである」とも書かれています。分裂した諸王国の中を勝ち抜いて、英雄が統一王朝を打ち立てます。ところが多くの王朝で、その安定は長くは続かず、また分裂が始まります。そこから次のようなことを考えました。それぞれ当たり前のことで、言い古されたことですが。

一つは、英雄が一人で安定した権力を作るわけではないことです。
大きな権力のためには、それを支える人、組織、そしてそれを養う資源が必要です。確かに英雄(王や皇帝)がいないとまとまりませんが、彼を支えるたくさんの人がいて、その人たちも権力(部下と組織と資源)を持っています。
別の見方をすると、それら有力部下たちに支えられているのが、王です。王にそれだけの能力とやる気がないと、部下が政治権力を握ります。さらに部下たちがその気になれば、王を廃止して取って代わります。
歴史書はしばしば英雄や王たちの歴史として書かれますが、実質はそのような権力関係から成り立っています。王や皇帝、将軍の系図が載っていますが、初代と中興の祖以外は、どのような功績があったか知らないことが多いです。権力が安定していたら、判断することもなかったのでしょう。

もう一つは、政権獲得、天下統一という目標があるうちは関係者は団結しますが、その目標を達成すると、分裂が始まることです。
権力を獲得する際の要素は、かつては多くの場合に武力です。ところが、政権を取ると、部下たちが武力に訴えては困るので、それを禁止し、秩序を守らせるために例えば儒教を奨励します。政権獲得期と政権維持期では、必要な力と思想が異なるのです。
しかし、政権獲得に参加した有力者や政権維持に参加している有力者は、「俺だって、王のようになれるはずだ」と考えます。隙あらば、自分の権力を大きくすることを考え実行します。ここに、分裂が始まります。