引きこもり、家族内での解決には限界

5月6日の朝日新聞くらし欄「ひきこもり146万人:5」「家族内での問題解消に限界」、明治学院大・関水徹平准教授へのインタビューから。

国の調査で、ひきこもっている人(15~64歳)が全国に推計146万人いることがわかりました。明治学院大の関水徹平准教授(社会学)は、調査結果を読み解きながら、「ひきこもりは、家族主義の限界点」だと言います。その理由を聞きました。

――今回の調査で、コロナ禍が原因でひきこもり状態になったと答えた人が約2割でした。
ひきこもりと聞くと一般的には家や部屋から出ない状態がイメージされると思いますが、この調査では、仕事や学校に行っておらず、社会参加の場が限定されている多様な状態を「ひきこもり」ととらえています。
前回調査でも今回調査でも、家や部屋から一歩も出られない人は少なく、多数派はコンビニや趣味の用事では外出していました。コロナ禍でますます、外出頻度だけに着目していては実像が見えなくなってきました。
今回調査でも、ひきこもり群の大半は、家庭・学校・職場のいずれも居場所だとは感じられないと回答しています。本人の自己否定感や社会のどこにも居場所がない感覚、働きづらさに注目する必要があります。

――前回調査では40~64歳だった対象年齢を、今回は10~69歳に広げました。
例えば10代の不登校なら学校教育のあり方、大人のひきこもりなら労働市場のあり方や精神医療や社会福祉への偏見なども関わっていて、世代によって社会的な背景が異なります。ひとくくりにすることで、見えなくなる部分があります。
「ひきこもり」という言葉が政策や調査の文脈で使われるとき、それは個人の行動や家族内の問題としてとらえられがちです。社会参加の難しさを生み出す背景、例えば「フルタイムの正社員」で就労しないと生活が安定しないといった社会構造や社会保障制度の問題が覆い隠されてしまいがちなのです。

――それによって、どんな問題が起こりますか。
家族を唯一の支援のリソース(資源)としてしまうと、親は子どもに就学や就労のプレッシャーをかけてしまい、当事者はますます親に対するネガティブな感情を抱いてしまいます。私がひきこもりの調査を始めた2006年ごろ、当事者たちの多くが「家族と関係が悪いのに、家族にしか頼れない状態にある」と気づいた時、この問題の核が一つ見えた気がしました。

――海外でも、「Hikikomori」という言葉が流通していると聞きます。
欧州の多くの国々では、子どもが一定の年齢になると、法的にも親の扶養義務はなくなります。日本では、年齢制限がありません。だから、日本においてひきこもりは、「家族に頼っている」というイメージがセットになっているのだと思います。
途上国では、親族や地域のコミュニティーが生活保障の基盤です。一方の日本では、核家族を超えた親族や地域の助け合いという基盤は弱く、世帯は不安定になりやすい。以前はそれを補ってきた企業福祉も縮小し、限界が来ています。