霞が関での忖度の実例が載っていました。朝日新聞4月4日~6日連載「けいざい+ 幻の「戦後最長」景気」です。詳しくは本文を読んでいただくとして、その一部を転載します。
・・・昨年8月、景気をはかる政府の新たな指数がひっそりと加わった。実に38年ぶりだという。この動きに、専門家は「そもそも景気判断を政府がすべきなのか」という根源的な問いを投げかける。背景に何があったのだろうか。
きっかけは、2019年1月末にさかのぼる。
この日、首相官邸で月例経済報告の関係閣僚会議が開かれ、国内経済の基調判断は「緩やかに回復している」と据え置かれた。その後の記者会見で、当時の経済再生相・茂木敏充はこう宣言した。
「我々の政権復帰から始まった景気回復は、戦後最長になったとみられる」
第2次安倍政権の経済政策「アベノミクス」による景気拡大の長さが6年2カ月となり、リーマン・ショックがあった08年まで6年1カ月続いた「いざなみ景気」を抜いた可能性が高い、というのだ・・・
・・・高らかにうたった「戦後最長」宣言の陰で、経済統計を担う内閣府の官庁エコノミストの間には、ある不安がよぎっていた。一部の経済指標が弱く、本当に「戦後最長」になるのかというものだ。
疑念はやがて的中することになる。
景気拡大の期間を実際に決めるのは、直近の景気動向を判断する月例経済報告ではなく、「景気動向指数」がもとになる。景気は時間がたたないと正確な判断ができず、これだと正式な認定に1~2年かかる・・・4日付け「官庁エコノミストの不安的中」
・・・そんななか、景気の認定に必要な経済統計がそろったのは、西村への報告から数カ月経った20年の春ごろだった。アベノミクスによる景気拡大が「いざなみ景気」超えには3カ月足りず、18年10月で終わっていたことが明らかになった。
崩れた「戦後最長」――。
ここから官庁エコノミストたちは右往左往する。「戦後最長でなくなっていいのかと、ある意味で忖度した」(別の幹部)結果、浮かんだのはこんな意見だった。
景気後退を認定する前に、景気動向指数のあり方を議論できないか。
幹部は、その意図を次のように解説する。「経済再生相が関わる月例経済報告は、政治的な判断なので間違っていたとは言いにくい。景気動向指数の指標の選び方がおかしい、と言う方が簡単だ」・・・
・・・アベノミクスの生みの親で、官邸の1強体制を築いた当時の首相、安倍晋三はどう受け止めたのか。
関係者によると、安倍に戦後最長にならなかったことを報告した際、「首相は、分かった、それは仕方ないね、とさらっと受け止められていた」という。この年は新型コロナの感染拡大が猛威を振るっていた。
大事にならず、内閣府の幹部たちは胸をなで下ろした。その一人は当時の心境をこう明かす。
「戦後最長にならないことをみな気にしていた」・・・ 5日付け「政治へ忖度「指標あり方議論も」」