「私の履歴書」国鉄解体、再生

日経新聞「私の履歴書」3月は、唐池恒二・元九州旅客鉄道代表取締役会長です。国鉄という揺るぎないと思われていた会社に就職し、国鉄末期の職場のひどさ、そして解体民営化を経験し、JR九州を再生した経験談です。

10日付け「武者修行」は、民営化早々、丸井に出向した経験です。かつての国鉄では、職員と組合が威張っていて、乗客を大切にしないことで有名でした。そこから、ものを売る商店に出向して、その差にびっくりします。
・・・研修初日の朝、わずか20分くらいの間に、私はすでに何回も感動させられていた。人を感動させるということは、こういうことかー。
そこには3つのギャップがあった。旧国鉄という役人的組織と民間企業との違い。鉄道というもっさりした仕事と飛ぶ鳥落とす先端企業の差。そして九州の門司と東京都心の環境の変化だ。幕末に欧州に渡った武士を打ちのめした衝撃は、こういう感じだったのではないかと感じていた・・・

11日付け「丸井」には、次のようなくだりがあります。
・・・2日目。始業時刻の30分前に行くと、やはり社員同士が「おはようございます」と挨拶している。始業15分前の8時45分、企画室全員で部屋の掃除が始まった。ゴミを集め机を整頓し、床にモップをかけ窓を拭く。すべての職場で同じ。管理職も参加する。これが民間企業か。国鉄ではありえない光景だった。
事業計画作りなどの会議、他の部署や店舗へのヒアリングにも参加させてもらった。会議も国鉄とは全く違った。発言者の少ない国鉄と違い、丸井の会議では発言しないと次から呼ばれなくなる。発言しない人の動機は自己保身にあり、会社のためには皆発言すべきだという考えからだ・・・

次のような話も。
・・・4カ月の研修終了が近づくと関わった部署が連日、送別会を開いてくれた。1988年2月20日の最終日、最初にお世話になった企画室で朝礼に出席し最後の挨拶をした。
「たった4カ月でしたが密度が濃く、10年いたような気がします。JR九州を少しでも丸井のレベルに近づけていきます」。話すうちにこみ上げるものがあり、目に涙がたまる。湿っぽくなってはいけないと笑いを取りにいく。
「将来もし私が出世し、まずありえないことですが、日経新聞の『私の履歴書』に登場することになったら、今の私があるのはすべて丸井のおかげだと書きます」。まったくウケないばかりか逆にすすり泣きが広がる。短くお礼を付け加え話を終えた。あれから35年、この日の大ぼらが今、本当のことになった・・・

・・・研修を終えた翌日、博多のJR九州本社に出社した。配属は営業部販売課。誰も挨拶をしない。机にも名刺はない。室内は散らかっており花など望むべくもない。
研修で感じた彼我の差を思い出す。丸井を手本に職場のすべてを変えようと決めた・・・

3.11から12年

今日は3月11日。2011年3月11日の東日本大震災から、12年が経ちました。
津波被災地では、復旧・復興工事は終了しました。今後の地域の持続と振興が課題です。
原発被災地は、早期に避難指示が解除された地域、その後に解除された地域、まだ解除されていない地域で、復興度合いに差があります。まだ、時間がかかります。

50年前の3月10日

私の記憶に間違いなければ、50年前の今日、1973年(昭和48年)3月10日は、東大の入学試験合格者発表の日でした。
高校の卒業式の日だったのですが欠席し、東京まで自分の番号を探しに来ました。当時は、本郷キャンパスの御殿下グラウンドの塀に、合格者の番号を書いた紙が張り出されました。

試験は手応えがあったのですが、そこは最難関の入試です。不安と緊張がありました。番号が張り出される直後の混雑する時間帯を避けて、遅れていきました。不思議なことに、遠くから自分の番号がだけが目に入りました。一緒に受けた友人の番号を確認し、公衆電話から両親と担任の先生に報告しました。

大学からすれば、毎年繰り返される行事であり、文科一類に入学した630人(当時の定数)の一人でしかありませんが、私にとっては、その後の50年の人生を決定した日でした。これに受かるということは、官僚になる道を選んだということでした。

振り返ると、たくさんの貴重な経験ができ、充実した職業人生でしたが、他方でえらい苦労をする生活でした。当時は、そんなことを知るよしもありません。
50年とは半世紀。一つ一つを振り返ると長かったような気がしますが、全体を見るとあっという間のことでした。

ところが、間違って記憶していたのです。「50年前の3月10日その2

日本の中間層

日本の経済発展によって生み出され、そして経済発展を支え、社会の安定をもたらした中間層。かつては「一億層中流」という言葉もありました。それが、この30年の間に崩れました。簡単にいうと、非正規労働者の増加によって、中間層が二分化されたのです。
それは、さまざまな問題を経済、社会、政治に引き起こしています。でも、中間層の重要性は、経済学の標準的な教科書には載っていないようです。

3月9日から日経新聞「やさしい経済学」で、田中聡一郎・駒沢大学准教授の「衰退する日本の中間層」が始まっています。第1回「分厚い中間層が重要な理由

連載「公共を創る」第145回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第145回「「新しい課題に対する新しい行政手法」とは?」が、発行されました。

行政改革の議論を終えて、行政の手法の議論に入ります。この連載では、社会の課題が「貧しさの解消」から「不安への対処」に変わったことと、従来の「サービスの提供」といった行政手法ではそれらを解決できないことを説明してきました。そして、いくつかの分野では、新しい手法が試みられていることを取り上げました。

まず、貧しさの解消のために取られた、モノとサービスの提供手法について説明します。かつては、公共サービスは政府が提供し、私的サービスは市場が提供すると説明されました。しかし、このような公私二元論は、もはや成り立ちません。