まんが「寺田寅彦エッセイ集」

鎌田浩毅先生が監修された「これから科学者になる君へ 寺田寅彦エッセイ集」(2023年、KADOKAWA)を紹介します。
角川まんが学習シリーズ」は、小学生に向け、学習まんがです。
寺田寅彦は、「天災は忘れた頃にやってくる」で有名ですよね。
内容は、リンクを張ったホームページを見ていただくとして。大人でも楽しめます。小学生には少々難しいかな。

国内人権機関がない日本

2月1日の朝日新聞オピニオン欄「「人権」日本の現実」、土井香苗さん(ヒューマン・ライツ・ウォッチ〈HRW〉日本代表)の「政策推進、国家機関が必要」から。

・・・人権の制度面でも「失われた30年」だと考えています。世界の動きから遅れています。主な原因の一つが、国内人権機関の設立ができなかったこと。「なんでないの」と、声を大にして言いたい。
国内人権機関は、政府から独立して、人権侵害からの救済と人権保障を推進する国家機関です。世界約120カ国が国内人権機関を持っています。国連からも度々、日本政府は国内人権機関を設立するよう勧告されていますが、いまだに作られていません。

環境であれば環境省という役所があり、環境政策に責任を持っています。でも、日本には、総合的に人権政策を作る機関がないのです。その結果、世界各国の政府に多数いる「人権政策の専門家」と同等レベルの国家公務員は日本にほぼいません。これでは、日本の人権政策が場当たり的で、政府高官のリーダーシップに欠けるのは必然です・・・

読売新聞社説「国家公務員離れ 政治の劣化が招く「官」の負担」

2月16日の読売新聞社説は「国家公務員離れ 政治の劣化が招く「官」の負担」でした。詳しくは原文を読んでいただくとして。連載「公共を創る」で書いているように、政治主導への転換の過渡期としての混乱でしょうか。政治家が政治家の役割を果たし、官僚が官僚の役割を発揮できるようにしてほしいです。

・・・国の針路に携わる官僚が誇りを失えば、政策立案能力は低下しよう。与野党は質問通告や「官」との接触のあり方を改める必要がある。
内閣人事局は、昨秋の臨時国会で中央省庁が答弁の作成にかけた時間を調査した。答弁は全864件で、作成に着手した平均時刻は、委員会前日の午後8時前、答弁を作り終えた平均時刻は当日の午前3時近くだった・・・

・・・官僚が答弁に労力を割くのは、国会が本来の政策論争の場になっていないことが背景にある。
野党は、首相や閣僚のスキャンダルの追及や、発言の揚げ足取りに終始しがちだ。答弁を準備する官僚は、枝葉の部分にまで気を配らねばならず、負担は大きい。
国会を政策の狙いや意義を問う議論の場に改めていくことが不可欠だ。そうした取り組みが、官僚の働き方改革につながろう。
政治主導をはき違え、野党が「ヒアリング」と称した会合で、官僚を高圧的な態度で問い詰めるケースも少なくない。「官僚いじめ」のような場面が報道された結果、国家公務員の仕事に魅力を感じなくなった人も多いはずだ。
不尽な手法を改めなければ、若者の「国家公務員離れ」に歯止めはかかるまい・・・

・・・官僚の意欲を高めるには、処遇の改善も課題となる。
大卒の総合職の初任給は18万9700円で、大企業に比べれば見劣りする。国家公務員が海外に出張する際の宿泊費は、1984年の規定が今も適用されており、自腹で差額を 補填せざるを得ない状態だという。改善は急務だ。
行政改革の結果、国家公務員数は現在、30万人まで減少し、今も定員削減計画の最中にある。一人にかかる負担は増していよう。
日本の国家公務員数は人口比では欧米各国より少ない。官僚の採用増も検討すべきではないか・・・

コメントライナー寄稿第9回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第9回「人事評価、職場と職員を変える手法」が、2月13日に配信されました。

国家公務員に現在の人事評価制度が導入されてから、10年以上が経ちました。新しい制度では目標による管理を導入し、事前面談と事後面談が義務化されることになりました。でも大変な労力を投入して人事評価を行わなくても、できる職員は上司や周囲からは分かるものです。

私はこの制度が試行されたときに、課長として課長補佐の評価を行い、「面倒なことだな」と思いました。ところが、やってみて、その機能と効果に目覚めました。人事評価には、別に重要な機能があります。
一つ目は、各職員の業務目標を確認することです。
二つ目は、職員の能力と業績について、足りない点を確認することです。
三つ目は、職員に現在の処遇を納得させることです。

詳しくは記事を読んでいただくとして、このような機能を発揮させることで、職場の生産性の向上と、職員の満足(不満の削減)を進めることができます。

侵略されるのは嫌だけれど、自分は戦いたくない。できれば他人に戦ってほしい。

2月5日の読売新聞言論欄、井上義和・帝京大教授の「「祖国」を守る想像力 必要」から。

・・・ウクライナはこの1年間、自国の領域内でロシア軍を迎え撃つ戦いに徹してきました。焦土と化した街で市民までも武器を手に取り、兵站を支える総力戦を続けています。必然的に犠牲者は増える。それは日本が国是としてきた「専守防衛」に他なりません。
ウクライナでは、軍に入る男性が国外に避難する妻や子どもたちに向き合い、「国のために戦うよ」と語りかけています。こうした映像は日本でも繰り返し放送されました。しかし私たちは、危険を顧みずに国を守る人たちがいることを、別の世界の出来事のように捉えています。ロシアの暴挙が、文明が進んだはずの21世紀の世界でも、明白な侵略戦争が起きる事実を示しているのに。

専守防衛とは、相手から攻撃を受けたときに初めて、必要最小限度の防衛力を行使する受動的な戦略です。先の大戦を起こした痛切な反省と周辺国への配慮から、日本は専守防衛を国是とし、国民も支持してきました。一定程度持ちこたえれば、同盟国や国際社会が助けてくれるという発想です。
それは自分から仕掛けなければ相手から攻撃されることはないという信念の裏返しでもあります。戦後の日本では、外国の侵略からどう国を守るかという真剣な問いかけは忌避されてきたのが実情です。

昨年4月、日本人の学生100人を対象にアンケート調査をしました。「他国が自国に攻め入ってきたら、国のために戦いますか」との質問に「いいえ」と答えた学生は32人で、「わからない」との回答は40人に上りました。
その一方で、「戦わずに、敵の侵略を受け入れた方がいいと思いますか」と聞くと、88人が「いいえ」と回答し、「できれば自分や身内以外の他の誰かに戦ってほしいですか」との問いには、47人が「はい」と答えました。
最初の質問で「いいえ」と「わからない」が多いのは、国際意識調査で示された日本の傾向と同じでした。侵略されるのは嫌だけれど、自分は戦いたくない。できれば他人に戦ってほしい。多くの日本人には、そんな本音があるのではないでしょうか。危機が訪れたとき、どこからともなくヒーローが現れ、敵を撃退して去って行くのが理想なのでしょう。でも現実の世界ではそんなことはあり得ません・・・