侵略されるのは嫌だけれど、自分は戦いたくない。できれば他人に戦ってほしい。

2月5日の読売新聞言論欄、井上義和・帝京大教授の「「祖国」を守る想像力 必要」から。

・・・ウクライナはこの1年間、自国の領域内でロシア軍を迎え撃つ戦いに徹してきました。焦土と化した街で市民までも武器を手に取り、兵站を支える総力戦を続けています。必然的に犠牲者は増える。それは日本が国是としてきた「専守防衛」に他なりません。
ウクライナでは、軍に入る男性が国外に避難する妻や子どもたちに向き合い、「国のために戦うよ」と語りかけています。こうした映像は日本でも繰り返し放送されました。しかし私たちは、危険を顧みずに国を守る人たちがいることを、別の世界の出来事のように捉えています。ロシアの暴挙が、文明が進んだはずの21世紀の世界でも、明白な侵略戦争が起きる事実を示しているのに。

専守防衛とは、相手から攻撃を受けたときに初めて、必要最小限度の防衛力を行使する受動的な戦略です。先の大戦を起こした痛切な反省と周辺国への配慮から、日本は専守防衛を国是とし、国民も支持してきました。一定程度持ちこたえれば、同盟国や国際社会が助けてくれるという発想です。
それは自分から仕掛けなければ相手から攻撃されることはないという信念の裏返しでもあります。戦後の日本では、外国の侵略からどう国を守るかという真剣な問いかけは忌避されてきたのが実情です。

昨年4月、日本人の学生100人を対象にアンケート調査をしました。「他国が自国に攻め入ってきたら、国のために戦いますか」との質問に「いいえ」と答えた学生は32人で、「わからない」との回答は40人に上りました。
その一方で、「戦わずに、敵の侵略を受け入れた方がいいと思いますか」と聞くと、88人が「いいえ」と回答し、「できれば自分や身内以外の他の誰かに戦ってほしいですか」との問いには、47人が「はい」と答えました。
最初の質問で「いいえ」と「わからない」が多いのは、国際意識調査で示された日本の傾向と同じでした。侵略されるのは嫌だけれど、自分は戦いたくない。できれば他人に戦ってほしい。多くの日本人には、そんな本音があるのではないでしょうか。危機が訪れたとき、どこからともなくヒーローが現れ、敵を撃退して去って行くのが理想なのでしょう。でも現実の世界ではそんなことはあり得ません・・・