中学校の部活動の地域移行

1月16日の日経新聞オピニオン欄は「部活動「地域移行」の成否」でした。
・・・公立中学の休日の部活動を民間事業者などに委ねる「地域移行」。少子化や教員の働き方改革が背景にあるが、指導者や施設の確保、費用負担など課題は少なくない。国は「2025年度末」としていた達成目標は設定しない方針に転じた。部活動という日本社会の「慣習」を刷新する道はあるのか・・・

山口香・筑波大学教授の「「強制」脱して個人に委ねる」から。
・・・部活動が日本のスポーツの一つの柱を担ってきたのは間違いない。その意味では地域移行は明治以来の大改革であり、相応の覚悟が求められる。国や自治体は予算を含めた環境整備に努め、生徒・保護者側も一定の受益者負担を理解したうえで、国民全体で新しい仕組みを整えていく丁寧な合意形成が必要だ・・・

・・・学校という空間は逃げ場が少ないところだ。部活を外に出すことで、閉鎖的な環境が生み出しやすい体罰やいじめ、ハラスメントといった弊害をなくすきっかけにもなりうる。

私は筑波大で柔道部に入るまで、部活ではなく町道場で柔道をやっていた。感覚では、そろばんや書道、学習塾と並んで「習い事」に近く、自ら望んでやるものだから対価を払うのも当たり前だと思っていた。部活動はこれまで教員の無償奉仕に頼ってきた面が大きく、その根拠として教育の一環と位置づけられてきたわけだが、地域移行を機にスポーツ本来の姿も問い直すべきだろう・・・ 

官庁エコノミストの縮小

1月18日の朝日新聞オピニオン欄、原真人・編集委員の「岸田政権の巨額予算 司令塔なき政策の矛盾と欺瞞」から。

・・・財政や金融政策は本来は理論やデータ分析の規律が働く分野だ。にもかかわらず、これほど矛盾や欺瞞に満ちた政策がまかり通るのはなぜか。政策決定に最低限の良識とまともな論理を回復させる必要がある。
かつてマクロ政策の総合司令塔として政府内や日銀との調整役を担ったのは経済企画庁(現内閣府)だった。官庁エコノミストと呼ばれる学者顔負けの専門家たちが集い、経済白書(現在の経済財政白書)に大きな国家構想を描いた。1947年に出た初の経済白書の筆者である都留重人、池田内閣の所得倍増計画にかかわった宮崎勇、のちに外相を務めた大来佐武郎。さらに金森久雄、香西泰、吉冨勝ら戦後を代表する著名エコノミストたちがひしめいていた。
経企庁は22年前、省庁再編で総理府などと統合し内閣府になる。男女共同参画や沖縄振興など諸部門を抱える巨大組織のなかでマクロ経済調整は一部門にすぎなくなった。次第に官庁エコノミストは重きをおかれなくなり、今や絶滅危惧種だ。
経企庁の物価局には50人規模が配置されていたが、再び物価に焦点があたる現在、内閣府の物価担当はわずか2人である。

旧経企庁OBで経済白書の執筆者だった小峰隆夫・大正大教授(75)は「官庁エコノミストの重要性は今も変わらない」と言う。「ビッグデータや行動経済学など最新の道具が増え、これを政策立案のために使いこなすスペシャリストが必要です」
とはいえ、それも結局は政権に都合のいいデータ集めに利用されるだけではないのか。小峰氏にその疑問をぶつけてみた。

――あなたがいま官庁エコノミストだったらおかしな政権方針を批判できますか?
「いや無理でしょう。私も財政はいつか破綻するのではないかと心配だし日銀の政策もどうかと思う点が多い。でも官僚は表だって時の政権の方針を批判できません」
どうやら問題の本質は官庁エコノミストの減少だけにあらず。政権が都合のいい結論を持ち出す意思決定のブラックボックス化、官僚たちが率直な意見をあげにくい風通しの悪さにこそ、理が通らぬ政策が横行する原因がある。ならば政権の良識に期待するより抜本的な制度改革が必要だろう。

小峰氏が提案するのは省庁再編に伴って廃止された「経済審議会」の復活である。学界や産業界、労組、消費者団体などから分科会も含め100人超の識者を集めた首相の諮問機関だ。首相が示す政策理念に沿って、計量モデルにも整合的で、かつ現実的な経済計画を4~5年ごとにまとめた。
「全会一致が原則だからかんかんがくがくの議論の末、結論はマイルドになった。でも、論理的に説明できない結論にはなりません」。これも一案かもしれない・・・

この記事は、朝日新聞デジタル版では「「決める岸田政権」政策迷走の裏に 官庁エコノミストの絶滅危惧状態」という題です。こちらの方が、わかりやすいですね。

連載「公共を創る」第141回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第141回「近年の行政改革における問題点」が、発行されました。前回から、行政改革を振り返り、改革で目指された政治主導の現状を評価しています。

第2次安倍内閣と菅内閣では、政治主導や内閣主導ではなく、官邸主導という形が定着したようです。「官邸一強の弊害」という批判もあります。その一つは、官僚たちが官邸からの「指示待ち」になったというものです。
ただし、「官邸一強」と呼ばれるのは、官邸と各省官僚との関係だけで、与党と内閣・官僚たちの関係は変わっていないようです。官僚は、官邸の了解を取ることとは別に、与党の了解をも取らなければならないのです。政治指導の一元化は、されていません。
また政治改革も、道半ばです。二大政党制は定着せず、国会での党首討論も開かれません。政党の政権公約についても、マニフェストは定着しませんでした。

行政改革の話に戻すと、公務員数の削減は業務にしわ寄せが来ています。そして、新しい仕事に取り組まなくなったように見えます。

教員の不足

1月16日の日経新聞1面は、「教育岩盤・迫る学校崩壊(1)」「先生の質を保てない 公立2000校で欠員、1年で3割増加」でした。

・・・教員不足や不登校の急増などで「学校崩壊」の危機が迫っている。社会の変化に応じて仕組みを変える動きの鈍さが原因だ。人材育成の土台が機能不全に陥れば国力の低下を招きかねない。学校を持続可能にする条件を探った・・・

文部科学省の2021年の調査では、公立小中高校と特別支援学校の1591校で2065人の欠員が生じていました。日経新聞の調査では22年5月で、2092校で2778人の欠員が出ています。
数の不足だけでなく、教員の質の低下も危惧されています。志願者数が減って、力不足の教員も採用されているようです。
「日本の教育は優秀」といわれていたのですが、そうではなくなっています。この課題にどのように対応するか。政府と自治体の力が問われています。

経営者の謝罪会見

1月17日の読売新聞解説欄に「トップの陳謝 「火に油」注意」が載っていました。

・・・不祥事やトラブルを起こした企業が行う「謝罪会見」。昨年だけでも三菱電機の検査不正やKDDIの通信障害などで、経営トップが頭を下げる光景が繰り返された。そもそも企業はなぜ謝るのだろうか。

「お客様や関係者の皆様に多大なるご心配とご迷惑をおかけしておりますことを深くおわび申し上げます」
三菱電機の漆間啓社長は昨年10月、鉄道車両向け製品などの不正検査問題を巡り、現旧役員の処分を発表した。謝罪会見では、まず役員がこうした「口上」を述べ、深々と頭を下げるのがお決まりのシーンだ。
組織改革などの「再発防止策」がついてくるのもお約束。社長は「しっかりやっていく」と強調したが、2021年に不正が発覚してから五月雨式に新たな問題が出ている。企業風土を変えられるかは疑問が残った・・・

・・・東北大の増沢隆太特任教授によると、企業の謝罪会見が多くなったのは1990年代後半。それ以前は不祥事を起こしても、世間に「謝罪する」というよりは記者に「説明する」という側面が強かった。
変化の背景には、インターネットの普及があるという。ネット掲示板やSNSで「個人の正義感や、足を引っ張ろうという感情の発信が容易になった」。企業は従来以上に世論に配慮し、会見を開くようになった。
その結果、会見は「劇場化」していく・・・

詳しくは原文を読んでいただくとして、2000年の雪印乳業・集団食中毒事件、2007年の船場吉兆・ささやき女将などが紹介されています。若い人は知らないでしょうね。
元「お詫びのプロ」より。「お詫びの仕方・形も大切