12月24日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「民主主義がはらむ問題」から。
・・・経済成長がまだ可能であり、人々の間に社会の将来についてのある程度の共通了解がある間は、民主主義は比較的安定的に機能した。そこには社会を分断するほどの亀裂は現れなかった。多くの人々は経済の波に乗っておれば自然に「幸福を享受」でき、将来に大きな不安を抱くこともない。
ところが、今日、経済は行きづまり、将来の展望は見えない。すると人々は政治に対して過大な要求をする。「安全と幸福」を、言い換えれば「パンとサーカス」(生存と娯楽)を求める。政治は「民意」の求めに応じて「パンとサーカス」の提供を約束する。
しかし、にもかかわらず経済は低迷し、格差は拡大し、生活の不安が増せば、人々の政治不信はいっそう募るだろう。そこに、わかりやすい「敵」を指定して一気に事態の打開をはかるデマゴーグが出現すれば、人々は、フェイクであろうがなかろうが、歓呼をもって彼を迎えるだろう。こうして民主主義は壊れてゆく。民主主義の中から強権的な政治が姿を現す。
古代ローマ帝国の崩壊は、民衆が過剰なまでに「パンとサーカス」を要求し、政治があまりに安直にこの「民意」に応えたからだとしばしばいわれる。社会から規律が失われ、人々は倫理観を失い、飽食とエンターテインメントに明け暮れる。内部から崩壊するうちにローマは異民族に滅ぼされた。
もちろん、ローマの皇帝政治を現代の民主主義に重ねることはできないが、民衆の「パンとサーカス」の要求に応えるのが政治であるという事情は、民主主義でも権威主義でも変わらない。それでもパンもサーカスも提供できる余裕があればまだよい。その余裕も失われてくれば、社会に亀裂が走り、党派の対立は収拾がつかず、政治は著しく不安定化する。その場合、危機は、民主主義においていっそう顕著に現れるだろう・・・
拙著『新地方自治入門』(2003年)で、「民主主義が持続するためには、経済成長が必要であるとの説があります」(301ページ)と紹介したことを思い出します。