7月31日の朝日新聞「元首相銃撃 いま問われるもの」、島薗進・東大名誉教授へのインタビュー「旧統一教会 政治と依存し合う」から。
――政治と宗教の関係をどう捉えればいいのですか。
日本国憲法に定められた政教分離とは、国家と宗教が結びついた戦前の国家神道の反省に立ち、思想・信条、信教の自由を守るための制度であり、宗教の政治的機能を排除するものではない。例えば、政治に格差是正を求めたり、環境破壊の是正を求めたりする宗教団体もある。公共空間における宗教の役割を重視する、そういう政治への関与はポジティブに捉えてもいいと考える。
だが、多くの被害者を生む宗教団体に政治家がメッセージを送ること、さらには支援することが、宗教団体の維持や勢力拡大につながるのは由々しい問題だ。特定組織の利益、ひいては市民に被害を及ぼす団体の利益のために政治が使われることになる。
――問題がある宗教団体に人々はなぜ入るのですか。
フランスはカトリック教会、北欧はルーテル教会、英国は国教会など伝統的な主流宗教が確固とした勢力を持つが、日本にはそれがなく新宗教が大きな勢力を持つ。
日本では、70年代くらいから「孤立しやすい個人」という傾向が強まり、若者が生きていく意味の空虚さに悩まされた。こうした「よるべない個人」が布教の格好の標的になった。
そのころから、社会との接点が薄くなりがちな、こうした人たちを対象に、勢力をのばす宗教団体が増えた。旧統一教会やオウム真理教がその代表だ。
現代社会でも、私利の追求を肯定する資本主義的競争を、社会全面に及ぼす新自由主義が広がっている。強い者勝ちの肯定、能力主義一辺倒と受け止められる。その結果、いつしか個人が孤立し、社会との接点を持てずに居場所がないと感じがちな社会になった。そこをある種の宗教団体につけ込まれると、一遍に深入りするという構造がある。
学者やマスコミの責任もあると思う。旧統一教会が多くの被害者を生み出してきたことを十分に啓蒙し、報道してきたか。政治的に強い側を味方につけている団体については、害悪があっても伝えにくいと社会から見られても仕方がない。