市町村アカデミーでの講演

今日20日は、市町村アカデミーの「市町村長特別セミナー」で講演しました。このセミナーは、年に3回開催しています。今回も90人の方が参加してくださいました。申し込みは100人を超えていたのですが、新型コロナに感染した方や、豪雨災害で来ることができなくなった方がおられました。

4月のセミナーでの参加者の反応を経験に、今回は話の内容を絞り、組み立てを変えました。反応はよかったと思います。

4月に実施した迎賓館赤坂離宮視察が評判が良かったので、迎賓館の協力を得て、今回も組み込みました。
これで、7月の講義と講演は終了。次の出番は8月下旬です。少しほっとできますが、原稿が待っています。

ネット左翼の「キャンセルカルチャー」

7月2日の朝日新聞オピニオン欄「キャンセルカルチャー考」。
・・・著名人が過去の言動を強く非難され、社会的地位を失う。昨年来、国内でも目につくようになった。これは行きすぎた「キャンセルカルチャー」なのか。正当な抗議申し立てなのか・・・

辻田真佐憲さんの発言から。
・・・2021年は日本のキャンセルカルチャー元年でした。東京五輪開会式の小山田圭吾さんが典型ですが、過去の発言を掘り返し、現在の基準で判断した上で抗議する。場合によっては職を失わせるまで追い込んでいくといったことが多く起こりました。
そうしたことは以前にもありましたが、去年、特に広がった一因はコロナ禍だと思います。キャンセルを推進するうちに、自分は正義と一体化しているという感覚に陥りがちです。さらにコロナで家に閉じこもり、SNSの狭い世界に入り浸っていると、「正義」が暴走しやすい。

ネットでの炎上は昔からありましたが、以前は、いわゆるネット右翼的な人たちが火付け役でした。キャンセルカルチャーでは正義をふりかざす「ネット左翼」が発火点になっている。その背景には、「左」が目標を見失っていることがあると思います。
少し前なら、「アベ政治」が闘うべき対象としてあった。しかし今は、安倍晋三さんのような明確な標的がなく、野党が政権をとれるという見込みもほとんどない。長期的な展望がないから、目の前のわかりやすい正義に飛びついてしまうのでしょう・・・

ウクライナ避難民支援自治体向け研修会

市町村アカデミーでは、日本財団と協力して「ウクライナ避難民支援に関わる実務者向け研修会兼ワークショップ」を、8月9日と10日に開催します。詳細は、リンクを張ったお知らせをご覧ください。

いくつもの自治体が、ウクライナからの避難民を受け入れ、また受け入れることを表明しています。しかしそのような経験は少ないです。今回、避難民支援をしている日本財団がそのような悩みを拾い上げ、市町村アカデミーに話が持ち込まれました。市町村アカデミーでは、年間の研修計画を立てていて施設に空きはほとんどないのですが、今回の企画は1泊2日、お盆前に空いている日があったので、実施できました。

同じような悩みを抱えておられる自治体も多いと思います。企画の都合から、募集期間がきわめて短くなっています。お早めに応募、または問い合わせください。

将来に悲観的な日本人

7月4日の朝日新聞文化欄「世界で何位?から考える 次世代」に、「今の子どもたちが成長したとき、親世代よりも経済的に豊かになるか?」と言う質問をしたところ、17の国の中で日本がフランスと並んで一番悲観的でした。豊かになるが16%、厳しくなるが77%です。シンガポールとスウェーデンを除き、他の国は厳しくなるとの回答が豊かになるより多いのですが、日本は飛び抜けて、悲観的です。

小島庸平・東大准教授の発言から。
・・・日本で経済の見通しが悲観的なことに違和感はない。政府や日銀の対応も手詰まり感がある。最大の要因の一つは少子高齢化。増え続ける高齢者を、減り続ける現役世代が支える。年金の目減りを見越し、家計は消費や投資をおさえ、貯蓄にまわす。国内の市場拡大は見込めず、企業も投資を控える。ただ少子高齢化は他の先進国も同じ。なぜ日本が特に悲観的かを考えると「世代の問題」に行き当たる。

バブル崩壊後の長期不況に苦しんだ「ロストジェネレーション」と呼ばれる世代がいる。約2千万人いるといわれるロスジェネ世代が就職や結婚、出産といったライフイベントを迎える時期に、バブル崩壊後の不況が重なった。結婚や出産は個人の選択で、多様な方が望ましい。ただ当時の不安定な就業や失業を理由に、結婚や出産を望んでいたのにできなかった人は、少なくなかったのではないか・・・

・・・構造的な困窮を「自己責任」として放置したために、少子化と人口減が後戻りできない状態になり、経済の停滞を招いた。昨年刊行した『サラ金の歴史』では、ロスジェネ世代の経済的な弱者を狙ったサラ金の規制が何度も持ち越されたことを指摘した。
格差を放置したツケを払う形で、停滞に陥ることになった。この経験から学ぶとしたら、格差や不公正さを解消した方が、長い目で見るとこの社会を豊かにする、ということだろう。社会が人々の暮らしに対し、公正に配慮するという期待や安心感があるからこそ、人々は安心して家族を作り、消費できる。もうけることと公正さの追求は矛盾しないと思う。

人口が減少する確度が高い未来で、いかに平等さや公正さを確保するか。目先の景気ではなく、100~200年先を見通して、あえて青臭く理想の社会を描く。そんなグランドデザインを、政治には示して欲しい・・・

地方創生の10年

7月7日の読売新聞「参院選2022 視座を開く」開沼博・東大准教授の「地方創生 未完の10年」から。

・・・ 「地方創生」を安倍元首相が重要政策として掲げたのは2014年のこと。今回の選挙を終えれば今後3年ほど大きな国政選挙がない可能性が高く、地方創生が10年間で何を達成したのか、その締めくくりが問われる選挙とも言える。

とは言え、現実には「地方創生ってなんだったっけ、言われて久しぶりに聞いた」という感覚の人も多いだろう。確かに、いくつかの地方創生の成功事例は生まれた。東京五輪に向けてインバウンド需要を盛り上げれば、コロナ禍の中だからこそ地方移住が増えるのでは、といった期待もその時々に生まれてきた。ただ、いま振り返れば、それらは「少数のスター事例」や「一時のブーム」としてメディアで消費され、広い範囲に伝播・波及して持続可能な変化につながったようには見えない。少子高齢化、既存産業の衰退、医療・福祉の脆弱化、地域コミュニティーの崩壊といった日本全体が直面し、より深刻な危機を抱える地方の種々の問題は根治しそうにない。むしろ悪化している。
無論、何もやらないよりやったほうが良かっただろう、と見ることもできる。ただ、地方で肥大化し続ける不安・不満は、むしろこの10年で「あれだけ頑張ってもだめなのか」という絶望感と表裏一体のものとして強固に結びついてしまったようにも見える・・・

・・・「地方創生」というキーワードのもとで、過疎地域等の活性化、震災復興での地域づくりのあり方、福岡・大阪・名古屋・札幌などにおける東京とは違った日本の大都市モデルの構築など、それぞれ重要なテーマについて、この10年で様々な試みはあったはずだ。そこでできたこととできなかったことをまず検証すべきだ。残念ながら、そのような動きは見えない。「コミュニティーデザイン」などと呼ばれる、住民を巻き込んだ地域運営の方法論が洗練され、今後の人口や財政の動きを背景に私たちが思っている以上に深刻な未来がやってくるだろうという「地方消滅」論もあった。前向きな動きも見つつ、重い現実も直視すべきだ。

私は近年、3・11についての議論で「エンドステイト(最終的に皆が満足する状態)」を話し始めなければという主張をしている。目の前のことに追われ、ゴールが見えていない。改めていかなる「エンドステイト」を目指すか議論しないといつまでも復興は完了しない。日本の地方をいかにするべきか、ここにも「エンドステイト」を正面から議論する必要性を感じる・・・