安倍ガバナンス改革の功績、社外取締役が定着

7月20日の日経新聞オピニオン欄、小平龍四郎・上級論説委員の「安倍ガバナンス改革の功績」から。

・・・凶弾に倒れた安倍晋三元首相は、日本の歴代政治リーダーのなかで、資本市場の評価が最も高かった人物のひとりと言えるだろう。
金融緩和で在任期間中に株価を上昇させたことや、米ニューヨーク証券取引所で「バイ・マイ・アベノミクス(アベノミクスは買いだ)」と斬新なメッセージを発したことだけが理由ではない。
安倍元首相は日本市場の歴史に残るブレークスルーを成し遂げた。企業統治(コーポレートガバナンス)改革だ・・・
・・・上場企業に社外取締役がいることは、今では常識だ。しかし、その歴史は案外短い。2012年に安倍元首相が再登場する前は、社外取締役がいる企業はごく一部で、大多数の取締役会は生え抜きの男性で占められていた。欧米の投資家が「日本企業にも社外取締役を普及させるべきだ」と主張し、財界が「日本的経営の強み」を根拠に頑としてはねつける。そんな光景が、やや大げさに言えばバブル崩壊後の約20年間、ずっとくり広げられてきた。

安倍元首相は具体的に何をしたのか。
まず、14年に年金基金や資産運用会社が株主としてなすべき規範を記す「スチュワードシップ・コード」を策定。これにより株主に企業との対話を促した。翌年には企業の責任を示す「コーポレートガバナンス・コード」をつくり、株主との対話に前向きに応じるよう求めた。この項目の一つに入ったのが「社外取締役の選任」だ。

改革はなぜ成功したのか。
第1に、ガバナンスを成長戦略として位置づけたことだ。それまで企業統治や社外取締役が議論されるのは、企業不祥事がきっかけになることが多かった。コンプライアンス(法令順守)としての統治論であり、不祥事を起こさない企業には無関係と見なされがちだった。
発想を切り替え、社外取締役の役割は経営者に成長投資を促すことと再定義したのが安倍改革だった。「攻めのガバナンス」という標語も、企業に取締役会改革を促すうえで有効だった。
不祥事防止から成長戦略へ――。15年6月、ICGNがロンドンで開いた20周年記念総会では、この「コペルニクス的転回」を参加者が口々に評価していた。

安倍流ガバナンス改革が成功した第2の理由は、法律ではなく規範(コード)に訴えた点だ。伝統的な統治論は、社外取締役の設置を会社法で義務づける点にこだわった。これだと社外取締役が手当てできない企業は法を犯すことになり、処罰されかねない。保守的な大企業が反対した大きな理由だ。
そこで安倍政権は金融庁や証券取引所がコードを策定し、「原則として内容に従うべきだが、できない場合は理由を説明してほしい」という方針を打ち出した。法的な罰則は科さず、一種の逃げの余地を残した。目的を達するために手段を柔軟に考える安倍カラーを、ここに見いだす向きもある。企業の抵抗はおおいに和らいだ・・・

・・・安倍政権は財政・金融政策に比べ、構造改革が物足りないとも批判された。そんななかで企業統治は数少ない改革の成功例だ。今後、世界の潮流のなかで再評価される可能性もある・・・

『信長が見た戦国京都』

河内将芳著『信長が見た戦国京都』(2020年、法蔵館文庫)を紹介します。
私たちは、京都の街並みというと、平安京を基礎にして碁盤の目のような町ができあがり、建物は建て変わっても、今日まで続いているように思ってしまいます。平安京の西側・右京は早々と荒れてしまったとは聞きますが、あまり想像ができません。

この本は、織田信長が初めて上洛したとき(1559年)に、京の町はどのような姿になっていたかから始まります。平安京から、鎌倉時代、室町時代、そして応仁の乱以降、どのような変遷を経たかを描きます。
平安京が衰退したあと、応仁の乱などが京の町の縮小に輪をかけます。上京と下京の小さな町、現在の上京区と下京区よりはるかに小さな町が、自衛のための門や堀などを持ってできあがります。
度重なる焼き打ちなどにも遭いますが、復興します。それだけの財力と住民の組織があったのです。そして、それらに支えられた日蓮宗の大寺院が建ち並んでいました。建築だけを見ていては、なぜそのような町ができたのかは分かりません。政治、経済、地域、社会から見た中世の京都です。良く分析した良著です。

なぜ、信長は本能寺に泊まったか。武装集団を泊めるだけの宿泊施設はなく、信長は自分の居城を京都に持ちません。多くの武士は、上洛して民家を借り上げ(接収)したり、大きな施設であった寺を借ります。相手にとっては迷惑な話です。逆らえば、えらい目に遭います。金で解決するか、言うことを聞くかです。

政権の課題、高齢化社会の不安払拭

7月22日の日経新聞経済教室、八代尚宏・昭和女子大学特命教授の「参議院選挙後の岸田政権 高齢化社会の不安払拭急げ」から。

・・・高齢化社会での人々の最大の不安は、社会保障制度が今後も維持可能かどうかにある。負担の配分を議論しないことは、社会保障費用の後世代への負担の先送りという「未来への負債」を放置するに等しい。これでは全世代型社会保障の看板と完全に矛盾している。
社会保障制度の持続性のカギとなるのは、最大の支出項目の年金財政の透明化だ。20年前に作成された長期の経済前提は、長期停滞と低金利政策の下で大きな狂いが生じている。にもかかわらず、非現実的に大きな積立金の運用益の想定のままで「100年安心年金」の看板は降ろしていない。そのうえでマクロ経済スライドにより年金受給額を少しずつ減らしている。受給者からみれば年金財政が盤石なのに、なぜ減額されるのかとの不満が生じる。

日本の年金制度が自らの老後に備える積み立て方式を堅持していれば、少子高齢化の影響は受けなかったはずだ。しかし「給付は多く負担は少なく」という政治の介入の結果、巨額の積み立て不足が生じている。これを解消しなければ子供や孫世代の負担増となるだけだ。祖父母が孫のお年玉を取り上げるような年金制度の実態を真摯に説明すれば、年金削減を受忍する高齢者も少なくないだろう。
年金の支給開始年齢引き上げは政治的にタブーとされるが、平均寿命伸長により自動的に伸びる受給期間を固定しなければ、保険財政が維持できないのは自明だ。主要先進国の受給開始年齢が67~68歳に対し、平均寿命がトップクラスの日本は65歳で放置されたままだ。個人にとって望ましい長生きが年金財政を危機に陥れるという矛盾は、年金保険の基本を国民に説明しない政治の怠慢の結果だ。
日本でも高齢者の定義を75歳以上とすれば、高齢者比率はピーク時にも25%にとどまる。元気な高齢者が税金や保険料を負担して、弱った高齢者を支える側に回ることが、活力ある高齢化社会の基本となる。

他方で国民年金の未納比率は免除者も含め5割を超す。それは将来の無年金者を増やすとともに、厚生年金などの被保険者の負担肩代わりを招く。人口の4割が年金受給者になる超高齢社会に備えて基礎年金の保険料を廃止し、高齢者も負担する年金目的消費税(3.5%)に代替するという08年の社会保障国民会議の構想を再検討すべきだ。
だが逆進的な消費税は低年金の高齢者の負担が大きい。厚生年金は、現役時の高賃金者ほど多くの年金を受給する仕組みだ。豊かな高齢者から貧しい高齢者への同一世代内の所得再分配を強化し、後世代の負担を減らす工夫も必要だろう・・・

ほかにも重要な問題点をいくつも指摘しておられます。原文をお読みください。

市町村アカデミー集合研修中止

今週から、市町村アカデミーでの集合研修を、一部を除き中止しました。延期したり、オンライン研修への振り替えなどにします。

新型コロナウイルス感染症が、爆発的に拡大しています。これまでにない規模です。
研修生に発熱者などが出た場合に、千葉市の関係機関にお世話になるのですが、発熱外来と療養のホテルがかなり逼迫しているようです。研修自体は感染予防に気をつけていますし、入校時に持ち込まない限り、校内でうつることはないのですが。症状のない患者も増えているようです。

残念ですが、万が一に備えて、このような判断をしました。感染状況の収束を見て、再開することにします。

インターネット・プラットフォーマー、情報操作の危険

7月8日の読売新聞「岐路の資本主義」、村井純・慶応大教授の「デジタル時代の情報危機」から。

・・・インターネットを使うようになって30〜40年たったが、最初は学術界やネットを作った人間のためのものだった。その頃はごくわずかな人しか使っていなかった。当時から「(次世代のネットとされる)ウェブ3」や「(ネット上の仮想空間)メタバース」のような構想はあったが、利用者が少なかったので夢物語だった。
今はほとんどの人がネットを使うようになった。ネットはメディアの役割も担うようになり、そこに近づきつつある。現在は米グーグルの検索サービスや巨大IT企業のSNSが媒介して情報を届けたり、利用者と双方向のコミュニケーションができたりしている。
サービス上では、誹謗中傷やフェイク(偽)ニュースなどが流通しているという課題があるが、過渡期だと思う。
プラットフォーマーは、利用者の要望に沿って対応する。それはやるべきことだし、実際に自主的に進めてきた。
しかし、もう一つのアプローチとして、私たちが新たに何を作るべきかを考えないといけない。本質的には、情報の提供者と受益者(利用者)がどういう関係にあるべきかを追求していくことが一番大事だ・・・

・・・こうしたネットの課題を解決するのに、行き着くところは国際標準化だ。コンテンツと広告の関係に課題を感じる人たちが参加し、プラットフォームの構造を変える標準化の議論を進める必要がある。
こうしたネット上の標準化に向けては、日本企業の参加意識が薄かった。ネットは地球全体で一つの空間なので、日本が自分のこととして参加すべきだし、同じように考えている世界中の人と力を合わせた方が良い。プラットフォームの今のあり方に問題があるとすれば、標準化に参加するべきだ。現状に問題意識を持っている人はいっぱいいるので、そういう人たちと手を組んで、直していかなければならない・・・
・・・標準化に向けては、日本だけのガラパゴスではなくて、世界中で受け入れられることを念頭におく必要がある。
私は50年後のネットはどうなるか、というような会議に参加することが多い。参加者はみんな、信頼や倫理が大事だと言う。信頼と倫理で質の高い文化を持つ日本に対する期待はすごく大きい。日本人が精度の高いサービスやシステムを作ることや、災害時に助け合うことが知られているからだ。
私は日本でなければできない可能性があると楽観的に考えているし、日本が貢献すべき領域だと思う。この議論はあちこちで熟しているので、関係者で合意ができればそう遠くないうちに先に進むだろう。3〜5年で新しい世界ができても全然不思議ではない。

過去のインターネットの発展には、常に複数の岐路があり、修正しながら進んできた。地上がインターネットで覆われ、すべての人が使うという、理想として掲げてきたことはすべて実現している。衛星でインターネットがつながるようになり、山の奥まであらゆることがデジタルデータを通じた「知」として合成されていく。そのときに、情報に対する考え方が大きく発展するのではないか。
私たちは自分の考え方や生き方を守りつつ、発展していくことから目をそらさず、言いたいことを言い、問題があれば解決策を提案し一緒にやる。こういうことができる雰囲気ができていくのが、これからの社会ではないかと思う・・・