7月8日の読売新聞「岐路の資本主義」、村井純・慶応大教授の「デジタル時代の情報危機」から。
・・・インターネットを使うようになって30〜40年たったが、最初は学術界やネットを作った人間のためのものだった。その頃はごくわずかな人しか使っていなかった。当時から「(次世代のネットとされる)ウェブ3」や「(ネット上の仮想空間)メタバース」のような構想はあったが、利用者が少なかったので夢物語だった。
今はほとんどの人がネットを使うようになった。ネットはメディアの役割も担うようになり、そこに近づきつつある。現在は米グーグルの検索サービスや巨大IT企業のSNSが媒介して情報を届けたり、利用者と双方向のコミュニケーションができたりしている。
サービス上では、誹謗中傷やフェイク(偽)ニュースなどが流通しているという課題があるが、過渡期だと思う。
プラットフォーマーは、利用者の要望に沿って対応する。それはやるべきことだし、実際に自主的に進めてきた。
しかし、もう一つのアプローチとして、私たちが新たに何を作るべきかを考えないといけない。本質的には、情報の提供者と受益者(利用者)がどういう関係にあるべきかを追求していくことが一番大事だ・・・
・・・こうしたネットの課題を解決するのに、行き着くところは国際標準化だ。コンテンツと広告の関係に課題を感じる人たちが参加し、プラットフォームの構造を変える標準化の議論を進める必要がある。
こうしたネット上の標準化に向けては、日本企業の参加意識が薄かった。ネットは地球全体で一つの空間なので、日本が自分のこととして参加すべきだし、同じように考えている世界中の人と力を合わせた方が良い。プラットフォームの今のあり方に問題があるとすれば、標準化に参加するべきだ。現状に問題意識を持っている人はいっぱいいるので、そういう人たちと手を組んで、直していかなければならない・・・
・・・標準化に向けては、日本だけのガラパゴスではなくて、世界中で受け入れられることを念頭におく必要がある。
私は50年後のネットはどうなるか、というような会議に参加することが多い。参加者はみんな、信頼や倫理が大事だと言う。信頼と倫理で質の高い文化を持つ日本に対する期待はすごく大きい。日本人が精度の高いサービスやシステムを作ることや、災害時に助け合うことが知られているからだ。
私は日本でなければできない可能性があると楽観的に考えているし、日本が貢献すべき領域だと思う。この議論はあちこちで熟しているので、関係者で合意ができればそう遠くないうちに先に進むだろう。3〜5年で新しい世界ができても全然不思議ではない。
過去のインターネットの発展には、常に複数の岐路があり、修正しながら進んできた。地上がインターネットで覆われ、すべての人が使うという、理想として掲げてきたことはすべて実現している。衛星でインターネットがつながるようになり、山の奥まであらゆることがデジタルデータを通じた「知」として合成されていく。そのときに、情報に対する考え方が大きく発展するのではないか。
私たちは自分の考え方や生き方を守りつつ、発展していくことから目をそらさず、言いたいことを言い、問題があれば解決策を提案し一緒にやる。こういうことができる雰囲気ができていくのが、これからの社会ではないかと思う・・・