6月20日の朝日新聞社会面、「「国策」の責任」(下)に、私のかつての発言が載りました。
・・・国から被害者への謝罪もない。
「経産省からおわびが一言もないのは理解に苦しむ」
11年3月31日。経産省の会議室に、総務官僚だった岡本全勝氏の強い口調が響いた。当時、津波被災地域を支援する事務方トップだった。
原発事故の対応は、津波被災者の支援体制に比べ大幅に遅れた。会議は経産省が主催。津波対策をまねて、福島の避難者を支援する組織を立ち上げようと、各省庁の局長級を集めた。
だが、経産省は各省庁に課題と報告をさせるだけで方針をはっきり決めない。原発事故が起きた後に被災地や住民がどうなるかの想定を全くしてこなかった。それが露呈した。
各省庁の担当者はいら立ちを感じていた。岡本氏が発言すると、出席者は一様に頷いたという。
その後、復興庁次官や福島復興再生総局事務局長になっても、岡本氏は経産省から復興庁に出向してくる官僚らに言い続けた。
「なぜ経産省は謝らない。原子力安全・保安院がお取りつぶしになり、謝る組織がなくなったからか」・・・
このいきさつについては、拙著『東日本大震災 復興が日本を変える』28ページに書きました。そこでも引用しましたが、福山哲郎・当時官房副長官がその会議に出席しておられて、著書『原発危機 官邸からの証言』(2012年、ちくま新書)に書かれています。
失敗を起こした組織が、取りつぶされることがあります。ところがそれでは、おわびや償いをする主体がなくなることがあります。私は、それを「お取りつぶしのパラドックス」と呼んでいます。「責任を取る方法4」