アントニオ・ダマシオ著『意識と自己』(2018年、講談社学術文庫)をようやく読み終えました。『デカルトの誤り』を読んで、興味が広がったからです。その間にほかの本にも手を出したとはいえ、半月以上かかりました。寝る前に布団で読むには難しく、毎晩10ページあまりで落ちてしまいました。
私が紹介するより、訳者の解説の方がわかりやすいので、引用します。
・・・ダマシオの言う「情動」とは、動物や人間のような有機体が何かを見る、聞く、触る、想像するなどしたとき、なにがしかの心の評価的プロセスが起こり、それが、同時にもたらされた身体的反応と組み合わされたもの。
一方、こうした情動的身体状態は神経信号や化学信号によって有機体の脳に報告され、脳の中で神経的に表される。これが「感情」。しかし、表象が脳の中に形成されること、すなわち有機体が感情を持つことと、有機体が「感情を感じること」とは違うというのがダマシオの議論の重要なポイントです。
生存のために働いているのが情動ですが、情動は意識されることなく、いわば自律的に働いています。暑いときに汗を流すのが情動の役割だとすれば、もっと涼しいところへ移動するという行為を取らせるための仕組みがfeeling感情だというのがダマシオの言葉の意味するところです。
そして、その「感情を感じること」「感情を認識すること」のために決定的な役割を果たすのが「意識」であるというのがダマシオの議論の構造となります・・・
神経細胞(ニューロン)がどのようにして、外部と内部の信号を受け、それを処理するか、その過程でどのようにして感情や意識が生まれるのか。不思議ですよね。
心身は別のものでなく、身からしか心は生まれません。発生学からみれば、生物が生命を維持することから始まり、外界を認識して生存に勝ち抜く能力を身につけてきました。その過程で、食べる、見る、感じる、逃げる、考えると発展してきたのでしょう。
脳の働きは、まだまだ分からないことだらけです。化学や物理の研究もよいことですが、この身近な問題の研究にもっと力を入れて良いと思うのですが。参考「脳の働きと仕組み、推理の能力」