連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第111回「「世間の目」と学歴・職業観」が、発行されました。前回に引き続き、住みよい社会をつくる際に障害となる社会意識を取り上げました。
個人の自由を制約する集団主義の一つが「世間の目」です。我が国の治安がよいことの背景には、この世間の目もあると考えられます。しかし、過度に個人の行動を規制し、同調を強要する場合は問題です。今回のコロナ拡大でも、「自粛警察」と呼ばれる現象が起きました。自粛を要請した行動制限に従わなかった人を批判するのです。自粛は、あくまでその人の判断で従います。もし強要するなら、法令で行うべきです。
「社会」と「世間」という言葉は、同じように人が集まっている空間を指すのですが、少し意味が違います。社会は構成員とあなたとの間に直接の関係があってもなくても成り立っていますが、世間の方はお互いに意識する相手からなっています。
世間の目が困るのは、その主語が誰だか分からないことです。「・・・といわれている」という文章で、主語がないのです。さんざん説教しておきながら、末尾は「らしいわ。知らんけどな」です。これは関西だけでしょうか。
集団主義の次に取り上げたのは、学歴社会と会社員への安住です。そしてそれは、低い満足度につながっています。経済成長期での人生の目標が、成長を達成した後も続いています。目標の転換ができていないのです。