数学者の孤独

加藤 文元ほか著「人と数学のあいだ 」(2021年、トランスビュー)に、次のような話が載っています。90ページ「作家の孤独」以下。

数学者は難しい問題を、多くの場合一人で解きます。孤独な作業です。他方で、それを他人に理解してもらわなければなりません。証明を説明しなければならないのです。そして、それを理解できる人が必要です。文中では、共鳴箱と表現されています。
それは、結論を得る過程でも必要なことでしょう。間違いを指摘してくれたり、違った角度から意見をくれたり。
孤高の天才で終わっては、社会に認められません。分かってくれる人がいないと、大きな仕事はできないのです。

アメリカ白人男性の絶望

1月23日の読売新聞1面コラム「地球を読む」は、猪木武徳・大阪大学名誉教授の「社会・経済分析 「思い込み」に染まる危険」でした。

・・・ノーベル経済学賞受賞のディートン氏と、妻で著名な医療経済学者のケース氏は、米社会の一断面を次のように捉える。非ヒスパニック系の中年白人男性の死亡率が近年目立って上昇しており、死因で増加率が高いのは自殺、薬物の過剰摂取、アルコール性肝疾患の三つである。著者らはこうした死に方を「絶望死(deaths of despair)」と呼ぶ。国勢調査と死亡証明書のデータを分析して、こうした絶望死の割合が顕著に増加しているのは低学歴層であることを明らかにしたのだ。

2人の論考は多くの研究者の注目を集めている。感心するのは、彼らのその後の研究で、米国の政治風土の底流にある大きな変化と結びつけて論じていることだ。昨年秋に2人が発表した論文では、2016年大統領選でなぜトランプ氏が勝利したかが次のように分析されている。
1970年代から21世紀に入るまでは、死亡率の低い(より健康な)州ほど共和党に投票する人が多かった。しかし2016年と20年の大統領選挙では「不健康な」州ほど共和党のトランプ氏に票が集まり、反民主党の傾向が強かったことが統計に表れている。
この事実は何を物語っているのか。かつては白人労働者の権利を守ってくれた民主党が、今や組織率の低下した労働組合に完全に背を向け、人種的少数派や高学歴層とタッグを組む政党となったことへの強い抵抗の意思表示なのだ。この構図は、日本でなぜ野党支持が伸びないのかを理解するうえでもヒントになる・・・

復興政策の検証

読売新聞「記録誌作成へ」に載りました」の続きです。役所が自らの実績を評価することは良いことだと思います。

失敗をしでかしたときは、内部または外部の人を入れて、原因究明と再発防止のための検証委員会がつくられます。最近では国土交通省の統計書き換え事件です。
他方で、各省が出す白書には、政策とその成果が書かれます。これは、毎年という期間です。また、各省の局が持っている機関誌や関係業界の雑誌には、新年号に局長などが前年の振り返りと新年の取り組みを書くことが多いです。

ところが、5年や10年という期間で、その省や局の成果を振り返ることは、あまりされていないようです。多くの組織では「10年史」「20年史」が作られます。役所でもかつてはありました。しかし最近は見ません。5年とか10年は、適当な時間だと思います。それより長くなると、関係者もいなくなり、記憶も薄くなってしまいます。

評価をするためには、物差しが必要です。そして、成果を測る必要があります。白書に載っている数値は、多くの場合に成果ではありません。実は、役所のほとんどに、今年1年、これからの3年間に何をするかという「目標」がないのです。

実績を見る際に、3つのものがあります。
「投入量」(インプット)。予算額、つくった法律など
「産出量」(アウトプット)。復旧した道路、防潮堤の延長など
「成果」(アウトカム)。住民の暮らし、町のにぎわいがどの程度戻ったか
役所が行う評価は、しばしば投入量を測ります。「予算を確保した」「法律をつくった」は霞が関では成果ですが、被災地にとっては投入量でしかありません。
私が記事で「被災者の目線で検証をしてもらいたい」と言ったのは、被災地で見た、被災者から見た成果検証としてほしいのです。復興庁の使命は「被災地の要望に応えること」であって、それができたかどうかです。いくらたくさんの防潮堤と道路を造っても、町の暮らしが戻らないと意味がありません。

このような試みは、各省でも実施されませんかね。
まず東日本大震災では、原発事故復旧の検証をしてほしいです。今回の復興庁の検証では、その前身である緊急災害対策本部被災者生活支援本部(津波災害)は検証対象に含まれますが、原発事故の復旧は「原子力災害対策本部」の所管であり、復興庁の所管の外なのです。対策本部は会議体なので、資料の保存や検証はその事務局の仕事になります。
原発事故がなぜ防げなかったか、冷温停止になぜ失敗したかは、国会、政府、民間の事故調査委員会が検証しましたが、その後の復旧作業の検証がなされていません。

統計不正、官僚の組織管理の問題

1月22日の朝日新聞オピニオン欄「統計不正 この国はいま」、田中秀明・明治大学教授の「政策見直さぬ、官僚の「政治化」」から。

――政治家と官僚の関係はどう変わってきたのでしょうか。
「かつては一定の緊張感があった両者の関係は平成以降、政治主導の流れのなかで変わってきました。いま官僚は常に目玉政策を考えねばならず、過去の政策を振り返る余裕などありません。政治家が思いついた政策に『ノー』と言えば、左遷もありえます。そんな上下関係があるから、政策を評価したり、問題点を指摘したりすることはできないのです」
「官僚が、政治家の下請けになり、先輩たちがやってきた政策を否定せず、自分たちの利害を優先する。私は『公務員の政治化』と名づけました」

――それが霞が関や官僚の劣化なのでしょうか。
「官僚の役割は政策を検討したり実施したりすることですが、それには専門性が重要です。しかし、係長級を含めほとんどの官僚が、政治家や業界の根回しに奔走します。経済社会は複雑化しているので、より高い専門性が必要ですが、根回しで勉強する時間もありません」
「霞が関の幹部は法学部出身のゼネラリストが多く、エコノミストやITの専門家は不足しています。諸外国では、省庁幹部に博士号を持つ人が多いですが、日本では限られています」

――人事制度が最大のネックになっているというのですね。
「課長や局長は短ければ、1年ほどで異動します。そつなくこなし、リスクはとらなくなる。可能な限り専門性を磨いて、政治家を忖度するのではなく、成果をもとに処遇されるようになれば、不正は減り、政策過程も少しは改善するでしょう。事務方トップの事務次官が毎年のように交代し、名誉職化している点も問題です。英国などの次官は予算執行や内部統制に一義的な責任を負っており、内部監査委員会も設置されています。次官が組織運営に指導力を発揮するべきでしょう」

――外部の機関が政策をチェックするのはどうでしょうか。
「これが著しく弱いことが大きな問題です。ほとんどの先進国で導入されている独立財政機関は、日本にはありません。国会の政府監視機能も弱い。与党議員も一議員としてその役割を担うべきです。法律を作る際、与党の事前審査で審査も修正も実質的に終わるため、国会審議も形骸化しています。結局のところ、政策過程の劣化は日本の政治システムの問題なのです」

齋藤純一ほか著「ジョン・ロールズ」

齋藤純一、田中将人著『ジョン・ロールズ 社会正義の探究者(2021年、中公新書)を読みました。私にとって、「比較的」分かりやすかったです。

ジョン・ロールズは、『正義論』(1971年、邦訳2010年、紀伊国屋書店)で哲学を再生させたと評価される、ハーバード大学の哲学の教授です。
『正義論』は買ったのですが、分厚くて、本棚で寝ています。ロールズを紹介する本もいくつかかじったのですが、その都度、挫折。この中公新書は、最後まで読み通すことができました。新書は、門外漢がとりつくには、ありがたいです。すべてを理解できたわけではありませんが、ほぼ全体像をつかむことができました。

ところで、歴史上の偉大な人や研究者の評伝には、2種類のものがあるようです。一つは、その人の成り立ちから、行ったことを詳しく書いたものです。もう一つは、その人のこととともに、その人が育った背景、そして社会に何を提示し何を変えたか、それは後世にどのような影響を与えたかを書いたものです。前者はその人についての深掘りであり、後者は社会と歴史におけるその人の位置づけと言ってよいでしょう。

門外漢や初心者には、後者が必要なのです。その人が書いた書物を読むときも、それまでの何を変えたか、社会と後の世にどのような影響を与えたかを知らないと、その古典の価値が分かりません。