テレワークの課題、企業調査

12月29日の朝日新聞経済面に「テレワークの課題は?利点は? 主要100社調査」が載っていました。
・・・テレワークの利点と課題が、主要100社を対象にした朝日新聞のアンケートで浮かび上がった。多くの企業が「従業員の負担軽減につながった」とする一方で「コミュニケーションの希薄化」に悩んでいる。オンラインでの対話を進めたり、どこで働くかの判断を社員に委ねたり。働き方の模索が続く。

調査は11月後半に実施しテレワークの利点と課題を複数挙げてもらった。
その結果、利点では「通勤の負担軽減」(96社)、「ワーク・ライフ・バランスの向上」(85社)が目立った。「不要な業務や会議が洗い出された」という回答も48社あった・・・
・・・ 一方の課題は「社内コミュニケーションの希薄化」を挙げる企業が多く、86社にのぼった。
住友ゴム工業の山本悟社長は「新入社員や転入者などへの教育は在宅勤務では難しい」。三井物産の堀健一社長も「他部署などとの偶発性の高いコミュニケーションはオンラインでは難易度が高い」と話した・・・

・・・テレワークはコロナ下で急速に広がった。昨年4月に、政府が「出勤者の7割削減」を経済界に求めたことが一因だ。経団連は今年11月、一律の要請は経済活動を妨げるなどとして「7割」の目標を見直すよう提言。政府はこれに応じ、数値目標を撤廃した。
働き方評論家で千葉商科大准教授の常見陽平さんは「働き方の傍流だったテレワークが、コロナ禍で一気に主流になった。十分な議論は重ねられていないし、問題が出てくるのは当然。実際どうだったのかを検証すべき時期にきている」と指摘する。
その上で「テレワークも出社も、うまく交ざればいい。交ぜ方を各社、各部門、各個人でいかにコントロールできるかということが論点だ」と話す・・・

佐伯啓思先生「資本主義の臨界点」2

佐伯啓思先生「資本主義の臨界点」」の続きです。
・・・ところが、高度な工業化による大量生産・大量消費による経済成長は、先進国では1970年代には頂点に達する。そこでその後に出現した「成長戦略」は何かといえば、80年代以降のグローバル化、金融経済への移行、それに90年代の情報化(IT革命)であった。先進国は、グローバル化で発展途上国に新たな市場を求め、新たな金融商品や金融取引に利潤機会を求め、ITという新技術にフロンティアを求めた。そして、その結果はどうなったのか。
それらは、ほとんど先進国に富も利益ももたらさなくなりつつある。グローバル化は中国を急成長させたが、米欧日などの先進国は、成長率の鈍化、格差の拡大、中間層の没落などに悩まされる。モノの生産から金融経済への移行は、金融市場の不安定化と資産の格差を生み出した。情報革命は一握りの情報関連企業に巨額の利益を集中させた。いわゆるGAFA問題である。明らかに新たなフロンティアは限界に達しつつある。

今日、先進国は、一方では、格差問題の解消へ向けた所得再分配に舵をきるといい、他方では、改めて新興国の市場を取り込むグローバル化と、デジタル技術の革新に活路を求めている。結局「グローバリズム」と「イノベーション(技術革新)」を成長に結びつけ、その成果をもって格差を是正しようというのである。
では「グローバリズム」と「イノベーション」は成長を可能とするのだろうか。話はそれほど簡単ではない。グローバリズムは、今日、国益をめぐる国家間の激しい競争へとゆきついた。成長戦略や経済安全保障を政策に組み込んで国益を積極的に実現することが国家の責務となった。自由な市場競争どころではない。新重商主義とでもいうべき国家主導の経済戦略なのである。

また、イノベーションが経済成長を実現するなどと気楽に構えるわけにはいかない。今日のイノベーションは確かに一企業の生産効率を高め、労働コストを低下させることは事実であろう。しかしそれが意味するのは、勤労者の所得の低下である。少なくとも総所得が上昇するとは考えにくい。ということは、総消費は増加せず、GDP(国内総生産)の増加はさして見込めないであろう。
かくて、AIやロボットや自動運転装置等のイノベーションは目覚ましく、確かにわれわれの生活を変えるであろうが、だからといってそれが経済成長につながるという保証はどこにもない。新技術が大衆の欲望フロンティアを開拓して大量生産・大量消費の好循環を生み出した高度成長の60年代とはまったく異なっている。
とすれば、空間、技術、欲望のフロンティアを拡張して成長を生み出してきた「資本主義」は臨界点に近づいているといわざるをえない。「分配」と「成長」を実現する「新しい資本主義」も実現困難といわざるをえないだろう・・・

・・・近代社会とは、人間が、己の活動や欲望について無限の拡張を求める社会であった。科学や技術によって自然を支配し、それを自らの自由や欲望の拡張に向けて改変する時代であった。そこに無限の進歩があるとみなした。資本主義は、近代人のこの進歩への渇望に実にうまく適合したのである。
そして今日われわれは、人間の外部に横たわる自然を改変するだけではこと足りず、AIや遺伝子工学、生命科学、脳科学等によって、われわれ自身を改変しようとしている。これらの新しいテクノロジーによって一層の自由や富や寿命を手に入れようとしている。本来的に有限で、いわば「死すべきもの」である人間が、無限で「永遠なるもの」へと接近しようとしているようにも見える。人間が人間という「分限」を超え出ようとしている。近代の欲望は、まだ「有限性」の中にあって少しずつフロンティアを拡張するものであった。だが最近の技術は、それさえも超え出てしまったのではなかろうか。
皮肉なことに、人間の「有限性」を突破しかねない今日の技術のフロンティアにあって、先進国は経済成長の限界に突き当たっている。われわれはようやく「資本の無限の拡張」に疑いの目をむけつつある。とすれば、われわれに突き付けられた問題は、資本主義の限界というより、富と自由の無限の拡張を求め続けた近代人の果てしない欲望の方にあるのだろう・・・

私の書き初め

お正月といえば、かつては、書き初めがありましたよね。毛筆がすたれた現在では、少なくなったのでしょうか。
私にとっての書き初めは、原稿書きです。これは、風情がありませんねえ(苦笑)。

新聞社などから、1月掲載用に短い記事を2本、求められていました。締めきりはまだ先なのですが、抱えて年を越すのは嫌なのと、片付けることができるものから片付けないと他のものも進まないので、年末に原稿を出しました。一安心。
他にも原稿依頼や講演の依頼を受けていて、準備が必要なのですが、それは後回し。

まずは、連載の続きに、めどをつけなければなりません。ということで、新年早々、「公共を創る」の執筆に取り組んでいます。
今回も専門外の分野で、私の頭の整理や、事実の確認に時間を費やしています。それとともに、文章の構成に悩んでいます。ある項目を、あっちに持っていったり、こっちに持ってきたり。いつものことです。
このような執筆は、先が読めない、いつまでにどれくらい書けるか時間の予定が立たないのです。方向はある程度定まっているのですが、地図のない、道の分からない道を歩いているようなものです。それでも、年末に悩んでいた一つの壁を突破できたので、少しははかどるでしょう。壁というより、泥沼から抜け出て小さな峠にたどり着いて、先が少し見えたという表現がよいですかね。

そのほか、このホームページの記事の執筆もあります。これは思いついたときに書いて、貯めてあります。

佐伯啓思先生「資本主義の臨界点」1

12月18日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「資本主義の臨界点」が興味深く、勉強になりました。

・・・「資本主義」が近年の論壇をにぎわしている。若きマルクス研究者の斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」がベストセラーになったこともあろう。ついに、というべきか、はてさて、というべきか、岸田文雄首相の所信表明演説にまで「資本主義」が堂々と登場することとなった。自民党選出の首相が国会の場で「資本主義」の語を連発するという事態を誰が想像しただろうか。未来社会を切り拓く「新しい資本主義」を模索するという。

半世紀ほど前の1970年前後、マルクス主義の影響もあり「資本主義」は徹底してマイナス価値を付与された言葉であった。ほとんど悪の象徴のようなものである。当時、社会主義へのシンパシーを公言するマルクス主義者は、「資本主義」の語を否定的な意味で喜々として使用していた・・・
・・・とはいえ、アメリカを聖地とする大方の市場擁護派は、冷戦のさなか、社会主義へと直結するマルクス主義を強力な論敵とみなしていた。したがって、オーソドックスな経済学では「資本主義」の語はまず使われない。もっぱら「市場経済」の用語が使われる。「資本主義」の語が肯定的な意味を帯びるようになったのは、90年前後の冷戦終結あたりからである・・・

・・・だが、そもそも資本主義とはいったい何なのか。首相のいう成長を可能とする「新しい資本主義」というものがありうるのだろうか。
「資本」つまり「キャピタル」とは「頭金」である。それは「キャップ(帽子)」や「キャプテン(首長)」という類似語が暗示するように、「先導するもの」である。未知の領域を切り開き新たな世界を生み出す先導者であり、そのために投下されるのが「頭金」としての「資本」である。資本は、未知の領域の開拓によって利益を生み出し、自らを増殖させる。したがって、さしあたり「資本主義」とは、何らかの経済活動への資本の投下を通じて自らを増殖させる運動ということになろう。

ただこの場合に重要なことだが、資本が利潤をあげるためには資本はいったん商品となり、その商品が売れなければならない。言い換えれば、そこに新たな市場が形成され、新たな商品を求める者がいなければならない。こうして、資本主義が成り立つためには常に新商品が提供され、新たな市場ができ、新たな需要が生み出されなければならない。人々が、たえず新奇なものへと欲望を膨らませなければならない。端的にいえば、経済活動の「フロンティア」の拡大が必要となるのであり、この時に経済成長がもたらされる。
この点で、「資本主義」は「市場経済」とは違っていることに注意しておきたい。「市場経済」はいくら競争条件を整備しても、それだけでは経済成長をもたらさない。経済成長を生み出すものは「資本主義」であり、経済活動の新たな「フロンティア」の開拓なのである。そして「市場経済」分析を中心とする通常の経済学は、基本的に「資本主義の無限拡張運動」にはまったく関心を払わない・・・

・・・大雑把に歴史を振り返ってみよう。資本主義がヨーロッパで急激に活性化した発端には15世紀の地理上の発見があった。一気に地球的規模で空間のフロンティアが拡張した。新大陸やアジアを包摂する新たな空間の拡張は、歴史上最初のグローバリズムであり、ヨーロッパに巨大な富をもたらした。この富によって19世紀に開花するイギリスの産業革命は、驚くべき勢いで技術のフロンティアを開拓し、帝国主義時代をへて20世紀ともなると、アメリカにおいてあらゆる商品の大量生産方式へとゆきついた。そしてこの大量生産を支えたものは、膨大な中間層をになう大衆の旺盛な消費であった。
つまり、外へ向けた空間的フロンティアの開拓(西部開拓のアメリカや帝国主義のヨーロッパ)の次に、20世紀の大衆の欲望フロンティアの時代がやってきた。戦後の先進国の高い経済成長を可能としたものは、技術革新や広告産業が大衆の欲望を刺激し続けることで、工業製品の大量生産・大量消費を生み出した点にある・・・
この項続く

令和4年元旦

令和4年の元旦を迎えました。明けましておめでとうございます。皆さん、良いお年をお迎えのことと思います。
東京は快晴、寒いですが、おだやかな新年です。日本海側を中心に、年末から雪のようですが、大きな被害や支障が出ないことを祈っています。年末年始も働いておられる医療関係者、消防や警察、交通や流通関係者などに感謝しなければなりません。

我が家は、年末に息子が帰ってきて、今日は朝から娘夫婦が孫を連れてきて、賑やかなお正月です。ありがたいことです。
67歳になりました。いつものように、お正月兼誕生祝いの鯛と、新年用のお酒をいただいています。
若い時は、67歳といえば老人と思いました。実際になってみると、平均年齢が延びたことと、自分自身の健康状態を見ても、老人という感じはしません。
もっとも、その意識が「老害」となって、若者たちに迷惑をかけているのかもしれません。とはいえ、私がした経験で後輩たちに役に立つことは、伝えていきたいです。

今年も、知人が送ってくれた元旦の富士山を載せます。きれいです。横浜から。

 

 

 

 

 

 

次は、富士宮市から。