12月18日の朝日新聞オピニオン欄、佐伯啓思先生の「資本主義の臨界点」が興味深く、勉強になりました。
・・・「資本主義」が近年の論壇をにぎわしている。若きマルクス研究者の斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」がベストセラーになったこともあろう。ついに、というべきか、はてさて、というべきか、岸田文雄首相の所信表明演説にまで「資本主義」が堂々と登場することとなった。自民党選出の首相が国会の場で「資本主義」の語を連発するという事態を誰が想像しただろうか。未来社会を切り拓く「新しい資本主義」を模索するという。
半世紀ほど前の1970年前後、マルクス主義の影響もあり「資本主義」は徹底してマイナス価値を付与された言葉であった。ほとんど悪の象徴のようなものである。当時、社会主義へのシンパシーを公言するマルクス主義者は、「資本主義」の語を否定的な意味で喜々として使用していた・・・
・・・とはいえ、アメリカを聖地とする大方の市場擁護派は、冷戦のさなか、社会主義へと直結するマルクス主義を強力な論敵とみなしていた。したがって、オーソドックスな経済学では「資本主義」の語はまず使われない。もっぱら「市場経済」の用語が使われる。「資本主義」の語が肯定的な意味を帯びるようになったのは、90年前後の冷戦終結あたりからである・・・
・・・だが、そもそも資本主義とはいったい何なのか。首相のいう成長を可能とする「新しい資本主義」というものがありうるのだろうか。
「資本」つまり「キャピタル」とは「頭金」である。それは「キャップ(帽子)」や「キャプテン(首長)」という類似語が暗示するように、「先導するもの」である。未知の領域を切り開き新たな世界を生み出す先導者であり、そのために投下されるのが「頭金」としての「資本」である。資本は、未知の領域の開拓によって利益を生み出し、自らを増殖させる。したがって、さしあたり「資本主義」とは、何らかの経済活動への資本の投下を通じて自らを増殖させる運動ということになろう。
ただこの場合に重要なことだが、資本が利潤をあげるためには資本はいったん商品となり、その商品が売れなければならない。言い換えれば、そこに新たな市場が形成され、新たな商品を求める者がいなければならない。こうして、資本主義が成り立つためには常に新商品が提供され、新たな市場ができ、新たな需要が生み出されなければならない。人々が、たえず新奇なものへと欲望を膨らませなければならない。端的にいえば、経済活動の「フロンティア」の拡大が必要となるのであり、この時に経済成長がもたらされる。
この点で、「資本主義」は「市場経済」とは違っていることに注意しておきたい。「市場経済」はいくら競争条件を整備しても、それだけでは経済成長をもたらさない。経済成長を生み出すものは「資本主義」であり、経済活動の新たな「フロンティア」の開拓なのである。そして「市場経済」分析を中心とする通常の経済学は、基本的に「資本主義の無限拡張運動」にはまったく関心を払わない・・・
・・・大雑把に歴史を振り返ってみよう。資本主義がヨーロッパで急激に活性化した発端には15世紀の地理上の発見があった。一気に地球的規模で空間のフロンティアが拡張した。新大陸やアジアを包摂する新たな空間の拡張は、歴史上最初のグローバリズムであり、ヨーロッパに巨大な富をもたらした。この富によって19世紀に開花するイギリスの産業革命は、驚くべき勢いで技術のフロンティアを開拓し、帝国主義時代をへて20世紀ともなると、アメリカにおいてあらゆる商品の大量生産方式へとゆきついた。そしてこの大量生産を支えたものは、膨大な中間層をになう大衆の旺盛な消費であった。
つまり、外へ向けた空間的フロンティアの開拓(西部開拓のアメリカや帝国主義のヨーロッパ)の次に、20世紀の大衆の欲望フロンティアの時代がやってきた。戦後の先進国の高い経済成長を可能としたものは、技術革新や広告産業が大衆の欲望を刺激し続けることで、工業製品の大量生産・大量消費を生み出した点にある・・・
この項続く。