進んでいる移民の受け入れ

11月26日の朝日新聞オピニオン欄、社会人口学者・是川夕さんへのインタビュー「「移民国家」になる日本」から。

――日本に働きに来ている外国人は「移民」なのでしょうか。
「国連は移民を『1年以上外国に居住する人』と定義しており、経済協力開発機構(OECD)は『上限の定めなく更新可能な在留資格を持つ人』としていますが、どちらにしても、事実として日本は移民を受け入れています。コロナ禍の直前で毎年約17万人の技能実習生、約6万人のハイスキル層、約12万人の留学生など、年間約54万人の外国人が新たに来日している。今後は、日本への永住も可能な特定技能2号の対象業種拡大も見込まれています」

――技能実習生の失踪が問題になり、出入国在留管理局では収容中にスリランカ国籍の女性が死亡しました。日本は「移民受け入れ後進国」なのではないですか。
「再発防止を徹底するべきですし、人権擁護の重要性は言うまでもありません。しかし、理想的な移民政策を採ったとしても不幸な事件は起きうるでしょう。外国人だという立場の弱さ、力の不均衡が事件の前提にあるからです」
「多くの外国人労働者が、働くための在留資格という正面玄関ではなく、研修目的の技能実習制度や留学生のアルバイトなどのバックドアから入っているという見方が主流です。ゆがんだ制度によって外国人労働者が来日し、それが故に人権侵害が一部で起きていることも否定できません。しかし、それだけでは大切なことを見落とすことに気付きました」
――何が見えなくなる、と?
「それでも、彼ら彼女らは日本を目的地として選んだという事実です。外国人労働者たちを『だまされて日本で働いている可哀想な人たち』と見ていると、なぜ日本に永住する人が増えているのか、説明がつかない。未知のリスクがあるにもかかわらず国境を越えることを選んだ人たちの視点に立つと、別の風景が見えてきます。『差別され、貧困に苦しむ人たち』としてしか見ない視線では、国境を越える熱量とダイナミズムは理解できません」

――雇用という面で見れば、外国人労働者、つまり移民は日本社会に溶け込みつつある、と?
「ええ、ゆるやかに社会統合されていると分析しています。私の研究では、在留外国人のうち、最大のカテゴリーである永住者の賃金水準は、日本人と大きく変わりません。専門職に就く割合も、日本人と変わらない。周囲を見回せば、私たちと同じような暮らしをしている外国人が近くにいる、という状況になっています」
「小学校入学前の子どもたちでは、外国籍、日本国籍取得者、親のいずれかが外国籍という『移民的背景を持つ人』は2015年で5・8%に上り、30年には10人に1人となるという推計があります。子ども世代にとっては、クラスに2、3人は外国ルーツの友だちがいることがリアルです」

――文化の違う出身国ごとのコミュニティーができているという話も聞きます。それでも日本社会に統合されていると言えますか。
「日本人同士でも、隣に住んでいる家族がどんな人たちなのか、分からないことがある。それが移民となると、地域に溶け込むべきだ、となるのはおかしいと思います。階層、雇用、教育、婚姻など公的な領域では、差別や分断はあってはなりません。一方で、文化的なものは私的な領域に属する部分も大きく、日本人も外国人もそれぞれが大切にすればいい」
「米国でも、移民たちは出身国の文化を守り、コミュニティーを形成しています。それでも学校や職場では価値観を共有し、同じ社会のメンバーという意識を持っている。文化的な統合まで求めるよりも、最低限押さえるべき共通部分について決め、それを守る方がいいのではないでしょうか」

政府の統計、民間の統計

11月22日の日経新聞に「統計の主役交代、コロナで加速 急激な景気変動、政府追いつけず民頼み」という記事が載っていました。

・・・新型コロナウイルス禍をきっかけに民間データが政策現場に急速に普及している。代表格は携帯電話の位置情報やクレジットカードの決済情報など。いずれも経済の動きをリアルタイムでつかめるのが特長だ。国内総生産(GDP)をはじめ旧来の公的統計は集計・公表に時間がかかり、景気のめまぐるしい変化に追いつけなくなっている・・・

記事では、人流、カード決済、ネット消費額などの統計が、政府は取っていなかったり遅れるのに対し、民間がいち早く把握していることが取り上げられています。背景には、社会特に経済がデジタル化していることがあります。カード決済、スマートフォンの位置情報、レストランの予約やネット消費の動向です。
調査員が面接して調査票に記入し集計する調査統計と、このような情報通信技術を使った調査統計と。それぞれの長所があります。

「文明の衝突」発刊25年

11月23日の読売新聞、待鳥聡史・京大教授と池内恵・東大教授の対談「「文明の衝突」刊行25年 影響と評価」から。
・・・自由民主主義で世界が覆われるかのような楽観論を一蹴した米国の国際政治学者サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』が刊行され、今年で25年。刊行後の世界やこの本の意義について、比較政治研究の待鳥聡史・京大教授と、イスラム研究の池内恵・東大教授に語り合ってもらった・・・

池内  本書の一番のテーゼ(命題)は、西洋文明に対する、最も明確な挑戦者がイスラム文明だと言い切ったところです。中東では、超大国・米国の政治学の権威に認められたと受け止める傾向が強い。一方、潜在的な敵として描かれたと不快感を抱く人もいる。中東では文明の衝突論がねじれた形で受容され、人々の冷戦後の世界観を規定した面があります。9・11の米同時テロの首謀者、ウサマ・ビンラーディンなどは、まさにイスラム文明が西洋文明に挑戦しているとの世界認識を持つとみられます。
待鳥  世界規模で人々の思考の枠組みを無意識に規定してきたのだと思います。本書は、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(1992年)と、時に対比されて論じられてきました。自由民主主義が冷戦に勝ち、体制間競争はなくなったとするフクヤマの見方に対し、ハンチントンは文明間競争が残っていると主張したからです。実際、2010年頃までは、非国家主体が続々と現れ、国際政治のかく乱要因になった。文明の衝突論は、そうした状況に適合的に見えました。

待鳥  ただ、ハンチントンの議論は、学術的には扱いにくい。文明という概念は、何かをつかんではいるのですが、定義が難しく、経済指標のように測れないからです。定義や測定ができないものは、今の比較政治学では取り上げるのが難しい。また、文明は、簡単に変化しないのに、実際の政治変動や紛争は広く起きている。政治学が科学であろうとすれば、文明が「原因」との説明はできないのです。
池内  現在の学術界の研究成果といわれるものは、集合知にどれだけ積み増し、どれだけ引用されたかが評価基準になる。本書はそれらと一線を画し、彼個人の直感に多くを依存し、方法論としても定式化しにくい。超大国の介入を正当化しているなどと、刊行直後から多くの専門家に批判されました。疑問点はたしかに多く、いま本書が書かれたら、日本は独自の文明に入らないでしょう。

待鳥  現実をつかむために学者がするのは、地図を描くような作業。球体である地球を平面に描くと必ずゆがむので、地図は常にどこかが間違っている。それでも目的によって、正しい部分の価値が大きいなら、その地図を使うわけです。今、世界地図を描くような研究は、間違いを批判されるから取り組まれない。ただ、ごく一部を精密に捉える地図ばかりでは、全体は見えてきません。
池内  政策当事者は、現実にあるものを、雑ぱくでも大づかみにする言葉を求めています。文明の衝突論は、おおむね共有されている常識をざっくりと言語化してくれ、有用だから生き残ったと言えますね。
待鳥  文明という言葉は、国民性や県民性という言葉と、使われ方が似ています。あいまいな概念なのに、本質的なものを含むと感じる人が多い。しかし、学術界はそのあいまいさを嫌う。結果的に学術界と一般社会との距離は広がり、読む本や知識を共有できなくなっています。
池内  政治学は科学化して厳密になったものの、社会との接点が乏しくなってきたのですね。
待鳥 残念なことです。政治の世界には、うまく整理できない要素が多く存在します。それを、科学化を重視して切り捨てるだけだと、社会の見取り図を提示できない。バランスが難しいのです。

職場の「飲みニケーション」不要が6割 

11月25日の日経新聞社会面に「飲みニケーション、「不要」6割 コロナで意識変化」が載っていました。

・・・お酒を飲みながら職場の仲間と親交を深める「飲みニケーション」の支持率が急落している。日本生命保険の調査で「不要」との回答が6割に達し、2017年の調査開始以来、初めて「必要」の割合を上回った。日生は、新型コロナウイルス禍でお酒に頼らない親睦の在り方を模索する人が増え、意識が変化したとみている・・・

・・・飲みニケーションが不要だと答えた人は全体の62%で、内訳は「不要」が37%、「どちらかといえば不要」が25%だった。不要と考える理由は「気を使う」が37%、「仕事の延長と感じる」が30%、「お酒が好きではない」が22%だった。
年代別では、不要と答えた人の割合が最も高かったのは「20代まで」の66%だった。
必要との回答は38%で、内訳は「必要」が11%、「どちらかといえば必要」が27%だった。必要な理由は「本音を聞ける・距離を縮められる」が58%で最多。「情報収集を行える」が39%、「ストレス発散になる」が34%だった。

ニッセイ基礎研究所の井上智紀主任研究員は「コロナ禍で会食できなくなり、お酒を介してコミュニケーションすることに疑問を抱く人が増えた」と分析した。収束してコロナ前のように会食できるようになれば「飲みニケーションは再評価されるだろう」とみている・・・