10月というのに、わが家のアサガオは、まだ花を咲かせています。さすがに、花は立派ではありません。
アサガオというと、小学生の夏休みの宿題を思い浮かべ、真夏のものと考えます。でも、季語は秋ですよね。10月まで咲いても、おかしくないとのことです。
10月というのに、わが家のアサガオは、まだ花を咲かせています。さすがに、花は立派ではありません。
アサガオというと、小学生の夏休みの宿題を思い浮かべ、真夏のものと考えます。でも、季語は秋ですよね。10月まで咲いても、おかしくないとのことです。
10月1日の日経新聞経済教室、八代尚宏・昭和女子大学副学長の「高齢者雇用どう進めるか 40歳代からの働き方改革を」から。
・・・日本の20~64歳人口は、2000年のピーク時からの20年間で約1千万人減少した。一方、この間に65~74歳人口は約450万人増えている。この年齢層が労働市場で活用されれば、人手不足の改善だけでなく、年金給付の節約や高齢者の健康維持など幅広い効果がある。これを妨げている大きな要因が他の先進国では原則禁止の定年退職制だ。
定年制の本質は、個人の仕事能力に大きなばらつきがある高齢労働者を一律に解雇する「年齢による差別」だ。雇用契約で個人の仕事の範囲が明確に定められる欧米方式では、その契約条件を満たす社員を、年齢だけを理由に解雇できない。
これが日本で容認されるのは、雇用と年功賃金が保障される下で、どのような業務でも無限定に担う正規社員という「身分」が、定年年齢で失効するためだ。未熟練の新卒者に多様な仕事を経験させて育てる日本の働き方では、個々の仕事能力についての評価が乏しい。代わりに年齢という客観的基準で、包括的な雇用契約を打ち切る「形式的平等性」が尊重されてきた。
政府は、定年制は維持したままで、65歳までの雇用を企業に義務付ける高年齢者雇用安定法を改正し、さらに70歳まで努力義務として延長した。だが定年後の再雇用は1年間の雇用契約を更新することが多く、能力が高くても企業内で責任あるポストに就くことは困難だ。その半面、賃金が抑制されても雇用は守られるため、定年を契機に企業外で活躍する機会費用を高める「飼い殺し効果」もある。
日本企業にとって現行の仕組みのままでの定年制廃止は困難だ。定年制をなくすには、40歳代から社員の多様な能力を自発的に生かすキャリアを形成し、高齢者の雇用がコスト高にならない仕組みに変える必要がある。それを支援する政府の役割が同一労働同一賃金原則と解雇の金銭解決ルールの制定だ。この働き方改革は安倍政権では腰砕けになり、旧来の雇用慣行を正当化するだけに終わった・・・
・・・日本企業は新規一括採用などの雇用慣行の下で、若年労働者のスキル形成のために長期間の訓練投資を行ってきた。だが今後の低成長期に、60歳まで訓練を続けるのは過剰投資だ。少なくとも40歳代からは一般の社員は自ら選んだ専門的職種に専念する。その生産性と賃金が見合う限り、企業にとって定年退職を求める理由はなくなる。
他方、今後の管理職を含むタレント社員には、より無限定な働き方が要求される。一般社員の仕事範囲が限定されれば、緊急な仕事への対応を誰かに押し付けられない。管理職が自ら対応せざるを得ないため、それに見合った高い仕事能力が必要だ。将来、経営を担うタレント社員には、年齢にかかわらず昇進か退職かの二者択一が迫られる。
大卒社員なら、誰でも職種や地域を問わず無限定に働く代わりに、定年までの雇用と年功賃金が保障される。この働き方は、過去の高い経済成長と人口構造の下で適した慣行だった。
それが維持できなくなった以上、単に定年後の雇用対策でなく、少なくとも40歳代からの現役の働き方改革が求められる。タレント社員を目指すか、専門職にとどまるか、どの職種の技能蓄積か、などの企業内でのキャリア形成は人事部任せでなく、自ら選択できる。
そうなれば日本の雇用慣行を維持しつつ定年制を廃止し、高齢者をその多様な能力に応じて活用できる。企業による強制ではなく、自ら望む時期に退職することが、高齢化社会での望ましい働き方になる・・・
連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第95回「「政府が家庭に入る」─公私二元論の変容」が、発行されました。
今号の前半は、行政が公私二元論に縛られていたことを、災害対策行政を例に説明します。
国や自治体の役割が公共施設復旧に絞られ、個人や企業の施設復旧、生活や営業の再開はそれぞれの責任とされたのです。また、避難所や仮設住宅での生活支援の水準が「最低限」のままで、通常の生活水準に達していないことも挙げることができます。
後半は、弱者支援の過程で、政府が家庭に入るようになったことを説明します。
「政府は家庭に入らない」という近代憲法の原則は、いくつも変更を受けました。生活保護、介護保険などです。個人の資産や能力を調べ、住まいの中に入ってきます。これらは、本人の同意の下に行われます。他方で、引きこもり支援はどう考え、どのようにしたらよいのでしょうか、家族は助けを求めていますが、本人は求めていないことが多いでしょう。
児童虐待や家庭内暴力の場合は、本人たちが介入を求めていなくても、被害者を救うために家庭に入ることが必要です。
社会的に自立できない人を支援する場合も、問題があります。「嫌だ」と言っている人に対し、「首に縄をつけて」社会に引き出すことはできません。生きていく力をつけることも、本人の意欲がないと、政府などが強制することはできません。
10月2日の日経新聞に「パナソニック、長期視点の経営に転換 利益率目標示さず」が載っていました。
・・・同日記者会見した楠見雄規社長は「(利益などの)結果数値で管理しない」方針を示した。利益や時価総額が競合に比べ見劣るなか、新たに事業ごとに競争力向上につながる指標を設定し、長期的な視点で復活につなげる。
楠見氏は会見で「事業戦略の推進のアプローチを変える」と、津賀一宏前社長の経営路線を転換する姿勢を鮮明にした。
パナソニックは2012~21年まで社長を務めた津賀氏の下、売上高営業利益率5%を経営目標に据えてきた。楠見氏はそれが「事業部には足切りラインのように受け止められた」と振り返る。
事業部では目標達成に向けて無理な受注や投資の先送りなどを繰り返し帳尻合わせの数字を作るようになった。結果として大胆な投資などを打ち出した海外勢に比べて競争力を失い、「過去30年間、パナソニックは成長していない」停滞につながっているとの分析だ。
そこで売上高や営業利益など結果として表れる財務指標だけで管理するのをやめ、事業ごとに競争力の向上につながる指標まで落とし込んで管理するように変える・・・
詳しくは、原文を読んでいただくとして。
難しいですね。組織の長は、内外に組織の目標を示す必要があります。部下はその実現を目指して仕事をします。ところが、下部組織に数値目標を割り当てると、記事にあるように、帳尻あわせになることがあります。これでは、本来の目標が忘れられ、手段が目標になってしまいます。他方で、数値でない目標は、物差しにならず、評価もできません。
では、どのように下部組織に目標を割り当て、事後評価をするか。企業は売り上げや利益が数字で出ます。その点で、売り上げがない役所は難しいです。もっとも、企業でも、開発部門や本社管理部門は同じような問題を抱えています。