行政の無謬性神話

先日、あるところで、行政の無謬性、官僚の無謬性が議論になりました。
行政の無謬性とは、行政は間違いを犯さないものだ、間違いを犯してはならないという考えです。私も官僚になった頃は、「そんなものかなあ」と程度に考えていましたが、経験を経るに従って、「それは真実ではない」「そんなことを言われても困る」と思い始め、「誰がそんなことを唱えたのだ」「やめてくれ」と思うようになりました。

問題を提起したのは、現役官僚です。彼も、行政の無謬性に疑問を持っていました。
私は、次のように考えています。
1 行政は間違いを犯してはいけない。確かにその通りで、法令の適用を間違ってはいけません。しかし、人間がすることですから、間違いも起きます。官僚も生身の人間です。民間企業の社員と変わりません。

2「絶対間違いを犯してはいけない」と主張するなら、それなりの手当が必要です。
例えば、「法案の記載誤り」が厳しく批判されました。法律改正の重要な内容に間違いがあってはいけませんが、重要でない部分や参考資料の記載誤りについてそんなに問題視することでしょうか。訂正すれば済むことでしょう。そのような間違いもしてはいけないというなら、人と時間を増やしてください。
もし私が当事者の官房長だったら、国会での釈明の際に、「申し訳ありません」と言いつつ、「しかし、現在の人員と限られた時間では、間違いも起きることがあります。法令本文には間違いがないように心がけますが、参考資料は正誤表で対応させてください」と答弁したでしょうね。

3 ここにあるのは、いまだに残る「官僚神話」ではないでしょうか。「官僚は優秀で、間違いは起こさない」というかつての神話です。一方で、エリートは認めないので、官僚を叩くという風潮です。
この問題の解決は、「官僚も普通の人ですから、間違いも起きます」と当たり前のことを認めることです。私なら追求されたら、「あんたも間違いを犯すでしょう」と反論します。
何か失敗が起きたら、しばしば「二度とこのようなことが起きないように、調査をして、再発防止に務めます」というような謝罪会見がされます。これも、やめた方がよいです。そうでなくても忙しい職員に、さらに仕事を増やすだけですから。その調査の結果、職員数を増やしてくれるならよいのですが、それを認めてくれないですよね。
「今後も失敗が起きないように注意して参ります(でも、人間のすることですから、また起きるかもしれません)」が正しいと思います。もちろん絶対間違ってはいけないことと、少々の間違いは許してもらえることとの区別はあります。
この項続く