先日、ある研究者から取材を受けました。東日本大震災被災者支援本部と復興庁での仕事、特に組織を作って運営することについてです。改めて、自分のした仕事を振り返ることができました。
被災者支援本部でしなければならなかったことは、次の通り。
取り組むべき課題を整理する、それに応じて各省から人を集める、課題の変化に応じて班を再編し人を増やす。意思決定過程を作る。幹部が判断することと、部下職員に任せる案件の線引きを作る。そして、状況の変化に応じて、それぞれが自己変革することを組み込む。後には、民間からも職員派遣を求め、期間職員を採用をする。
そこには、取り組むべき課題の整理、それに応じた班編制と人集め、さらに意思決定過程を作ることが含まれています。1番目は企画課の仕事、2番目は人事課の仕事、3番目は文書課の仕事と慣習の部分と言ったらよいでしょうか。
この点については、『東日本大震災 復興が日本を変える』にも書きましたが、山下哲夫執筆「政府の被災者生活支援チームの活動経過と組織運営の経験」(季刊『行政管理研究』2011年12月号)に詳しく記録と分析がされています。山下君(現・総務省総務審議官)は、後に行政管理局長、内閣人事局人事政策統括官を務めた、組織の専門家です
内閣官房などで、これまでもたくさんの本部とその事務局が作られ、そのたびに各省から職員が集められ仕事をしました。これまでにない課題に取り組む、新しい組織を作る、混成部隊を運営することは、けっこう難しいのです。
さらに、大震災では現地の状況がどんどん変化し、それに応じて仕事も組織も変える必要がありました。毎週、職員を増やし、席替えをしていました。
新しい組織を作ることも難しいのですが、その組織を動かすことはもっと困難であり重要です。あらためて、そのことを思い出しました。
私は防災の専門家でなく、組織を作って動かす職人だったのです。自治体現場を知り、各省を知り、官邸を知り、与野党幹部を知っていた。それが私がこの仕事を遂行できた理由です。私が最初に呼び集めた、山下哲夫君も福井仁史君も、霞が関での組織運営のできる人材でした。
私は、被災者生活支援本部と復興庁では、この点についてうまくできたと自負しています。一つには参画してくれた職員の多くが不満を持たず取り組んでくれたこと、もう一つは一定の成果を出せたことです。もちろん、全員が満足できたわけではなく、対応が満点だったわけではありません。この項続く。