世界の歴史では、繁栄した国や文明が、周辺の後発国や民族に取って代わられることがしばしば起こります。
繁栄した国も、当初は軍事力が強く、国家統一や周辺を征服するのですが。成功すると、軍事より生活を楽しむようになります。それを見た周辺国が、戦いを挑み、勝利します。中国の歴史、ローマ帝国の滅亡などです。
もちろん、戦争はこれだけでは説明できません。周辺国でないけれども、指導者が国民の支持を得るために、対外戦争を続ける国もあります。ナポレオンやヒットラーは、これに該当するのでしょう。そこには、政治指導者の夢、国民の支持、指導者の国民の支持のつなぎ止めなどの要素があります。
20世紀に大きな戦争を経験した西欧諸国は、「もうこんなことを続けるのはやめよう」と考えました。都市を消滅させることができる、人類を抹消することもできる核爆弾が発明されたこと、無差別攻撃の悲惨さ、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の悪夢も、それを後押ししました。
ところが、周辺国は必ずしもそれに同意しません。「先進国は、さんざん好きなことをやっておいて、周辺国に、先進国の論理を押しつけるのか」とです。
さて、中国の膨張主義は、「歴史は繰り返す」を見せるのでしょうか。
戦争、領土拡張以外の分野で、国の強さを国民に見せ、国民も満足できれば、戦争を回避できるのですが。他方で、国民の「一流国になった意識」をうまく制御できず、軍隊を統制できないと、戦争が起きます。
現代の先進国の論理は、戦争を回避することが政治指導者の責務ですが、過去の歴史や遅れてきた国家の論理は、戦争をして国民に強い国であることを見せるのが政治指導者の役割と思われています。