西村貞二著『マイネッケ』(1981年、清水書院)に、次のような話が書かれています。
大歴史家に、長命な人が多い。必然性はないが、次のように言えるのではないか。芸術家は早死にしても、よい作品を残せばよい。しかし歴史家は、世のこと、国のことについて、さまざまな体験を積む必要がある。歴史家として成熟するには、どうしてもある程度、長生きしなければならない。
さまざまな体験には、3つのものがある。個人的、社会的、時代的の3つである。まず個人的な体験をする。幼い時期に家庭や身の回りに起きる出来事である。成人して社会に出ると、社会的経験を積む。自分で運命を切り拓かなければならない場合もでてくる。そうした社会的経験は、大局から見れば。時代的体験の一部だろう。戦争や歴史の転換といった大きな変動に会うと、個人は木の葉のように翻弄される。
歴史家も一般人も、この体験は異ならない。違うのは、歴史家がこれらすべての体験に基づいて歴史を書くということである。すると、20歳くらいの若さでは、社会的体験や時代的体験を積むことはできない。世の有為転変を知るには、ある程度長生きしなければならない。