国際法と国際関係の相互作用2

国際法と国際関係の相互作用」の続き、7月20日の朝日新聞オピニオン欄、小和田恒・元国際司法裁判所長へのインタビュー「国際法の理想の長い旅」から。

――ところで米中対立など混沌たる世界情勢を「歴史の幕間劇」と評されました。その意味は。
「この講座で歴史をどう扱うかは両大学の判断ですが、私見を言えば、ウェストファリア会議以降に欧州が中心だった『国際社会』は2度の大戦を経て大きく変わりました。グローバル化です。植民地から独立した新興国がメンバーの多くを占め、温暖化対策やコロナ禍のように国境を越えて人間の安全に関わる問題への取り組みが必要な『地球社会』へ変貌した。社会が構成員の福祉と安寧のために存在する以上、国際社会が協調によって秩序を築く流れはとどまることはないと思います」

――しかし冷戦がありました。
「その冷戦を、私はシェークスピアの芝居の幕間劇のように考えます。確かに米ソが戦争をすれば互いに滅ぶという恐怖から均衡が保たれるという、19世紀と同様の『力の均衡』の世界が一時的に出現しました。しかしその間も歴史劇の主題であるグローバル化は着々と進んでいたのです」
「冷戦終結とはグローバル化にソ連の社会体制が対応できなかった『敗北』でした。幕間劇が終わればグローバル化という主題が表舞台に出て、新興国も加わる『第2のウェストファリア体制』と言うべき協調の時代へ向かうはずでした。それが誤解され、米国を中心とする資本主義の『勝利』という考え方が生まれました」

――幕間劇に収拾がつかないまま、今日に至っていると。
「野放しの自由放任主義に統治原理としての正統性が与えられ、協調で国際秩序を築く努力は滞りました。格差拡大への不満から社会の分断が進み、米国では自国第一のトランプ現象が、英国でも欧州連合(EU)からの離脱が起きた。他のEU諸国でも移民や難民の受け入れに国民が反発するナショナリズムが強まりました」
「ソ連の後身ロシアではプーチン長期政権でのクリミア併合に見られるような領土回復主義、中国では前世紀までの植民地支配の屈辱を晴らす復讐主義と、国際秩序を軽視する国民感情が生まれました。ウェストファリア体制前の欧州さながらに、各国が目先の偏狭な利益の追求に走っています」

シナリオ分析とビジョンの区別

7月19日の日経新聞経済教室、杉山昌広・東京大学准教授の「温暖化対策、頑健さで評価を」から。

・・・現在、審議会や論壇で長期気候政策の具体的な方策が議論されている。その際、エネルギーシナリオがよく使われる。シナリオは詳細が省かれて紹介されることが多く、誤解を生みやすい。本稿では脱炭素の道筋について解説したい。

なぜシナリオが必要か。30年後の未来には不確実性が大きいからだ。不確実だから対策は不要ということにはならない。気候変動は世界的な課題であり、脱炭素の方向性は揺るがない。
ここでいう不確実性は、脱炭素の道筋に関するものだ。イノベーション(技術革新)や社会の変化の不確実性を個別にみていくと、不確実性は膨大になる。シナリオを分析することで、不確実な未来の中でも現在の頑健(ロバスト)な対策を見いだすことができる。
シナリオは予測でなく、不確実性を考える概念装置だ。過去の研究を振り返ると、専門家ですらシナリオ分析で多くの誤りをしてきた。再生可能エネルギーの導入を過大評価したシナリオがある一方、最近まで国際エネルギー機関(IEA)は太陽光・風力を系統的に過小評価してきた・・・

・・・最後にシナリオ分析とビジョンの区別が必須だ。特定のエネルギー源を強調する主張はよく聞かれるが、脱炭素を目標に設定したシナリオ分析ではそうした結論は出てこない。電源・エネルギー構成は不確実性が高いからだ。むしろ多くの論者が語るのはビジョンではないか。民主主義国家でビジョンが語られるのは望ましいし、そうした議論をシナリオ分析も補助すべきだが、科学の権威を装った議論は避けるべきだ。
脱炭素は大きな挑戦であり、そのシナリオも絵空事にみえるかもしれない。ウォームハートでビジョンを掲げつつ、クールヘッドでシナリオ分析をみていく必要がある・・・

国際法と国際関係の相互作用

7月20日の朝日新聞オピニオン欄、小和田恒・元国際司法裁判所長へのインタビュー「国際法の理想の長い旅」から。
東京大学とオランダのライデン大学が秋に共同で始める「小和田恒記念講座」について。
――講座の狙いは何でしょう。
「第一に、法の支配に基づく国際秩序への挑戦が冷戦終結から今世紀にかけ台頭した背景と、その克服です。私が終生の実践と研究の対象とする『国際法と国際関係の相互作用』から探ります」
「17世紀の欧州で宗教戦争を和解に導くウェストファリア講和が実現し、主権尊重と内政不干渉を中核に主権国家が併存する近代国際秩序の枠組みが確定しました。ここから発展した近代国際法学には、ユートピアを目指す規範主義的指向が強く、国際紛争の平和的解決を掲げた1899年のハーグ平和会議で頂点に達します」
「これに対し2度の大戦とナチス台頭への幻滅から生まれたのが国際関係学で、ジャングルの掟が世界を支配するという認識に立つ現状肯定的指向が主流です。国際法学が目指す理想と、国際関係学が取り組む現実のギャップを埋める努力がなく、国際社会観を乖離させてきたのではないか。近代以降の歴史の流れを巨視的に見て『国際法と国際関係の相互作用』を的確に捉えることが、世界に安定をもたらす道と考えます」

――「国際秩序への挑戦」と言えば、いま世界は米中対立やコロナ禍で混沌としています。
「歴史は繰り返すと言われますが、私は国際秩序はらせん状に進化すると考えます。今はその進化の途中の『幕間(まくあい)劇』であり、講座ではこの紆余曲折を乗り越える歴史的課題に接近を試みます。国際法と国際関係のギャップを埋めるため、宗教や文化、感情といった人間集団に影響する様々な要因を学際的に探ることも必要です」
この項続く

本を増やさない2

本を増やさない」の続き、その後の経過報告です。
キョーコさんが崩してくれた本の山から発掘された本の中に、読みたい本がたくさん出てきます。それを、順次読んでいます。これで満足しておれば、新しい本を買わずにすむのですが(前もって笑い)。

1 本屋に行かない決心は、守れません。書評欄や広告で、面白そうな本が載っていると、見たくなります。
2 ある本を読んでいて、関係する本が紹介されていると、読みたくなります。アマゾンで、簡単に取り寄せられます。これも、くせ者です。かつてなら、古本屋をはしごして探す必要があったのに、すぐに手に入ります。
3 いただき物の本が届きます。交遊が広がり、いろんな方から送ってもらいます。ありがたいことです。すぐに読んで、感想を送らなければならないのですが、全部に目を通すことはできません。いただいたお礼を述べたあと、積ん読になるのもあります。すんまへん。

「本を増やさない」を読んだ肝冷斎から、次のような趣旨のぼやきがありました。
・・・中国古典の続きを探そうと本の山を崩してしまい、大混乱になっています。そのおかげで、同じ本がいくつか見つかりました。しかも先に古本屋で安く買ったのを、新刊を定価通り買ったのがあるのです。ほんとうに情けなくなりますよね・・・

でも、まったく同情せず。
写真も送ってもらったのですが、彼の名誉のために転載しません。もっとも、以前に載せました。この状態よりさらにひどくなっています。

政治決定の文書保存

7月18日の読売新聞1面コラム「地球を読む」、御厨貴先生の「つなぐ重み 五輪巡る判断 公文書に」から。
・・・国立公文書館開館50周年記念式典が7月1日、東京都内で開かれた。福田康夫元首相ら来賓の講演を、感無量の想いで聞いた。
私は駆け出しの学者として、開館数年後から公文書館のお世話になった。明治の元勲政治家の手になる閣議文書や政策文書のつづりを、1ページずつめくり、近代政治の実相に迫った。ある時は大正、昭和の政党政治家の行政改革に関する議事録を読みふけり、政友会、民政党という戦前の2大政党の政策の相違をじかに感じ取った。こうして学問の神髄に触れた日々が、いまは懐かしい。
公文書は戦後、徐々に充実していった。ただ、ある時期まで、この国の官僚は公文書の保存・管理に熱心ではなかった。21世紀に入ってから、未来のためにも過去の記録と記憶を残すことがいかに大事なことであるかを、官僚はもとより、政治家も国民も、次第に理解してきたように思う。私自身、内閣府の独立行政法人評価委員会や公文書管理委員会の委員を務めることを通して感じたことだ。
公文書が重要だという認識が深まったがゆえに、安倍内閣以来、公文書の改ざんが重大な案件として問われ続けてきたのだ。「説明責任」という言葉は、かつてよりずいぶんと軽くなった。だからこそ公文書の重みは一段と増している・・・

・・・いま、新型コロナウイルス対策と東京五輪を巡る意思決定に関する内閣への風当たりは強い。東京都への更なる緊急事態宣言の発出や、東京五輪のほぼ無観客での開催は、後に令和の始まりの時期を振り返る時、いずれもかなり重大な意味を持つ決定だったことが明らかとなろう。
「コロナに打ち勝った証しとして、東京五輪を開催する」という菅首相の宣言が事実上、意味をなさなくなったからだ。「ジリ貧」変じて「ドカ貧」となるのではないか。菅政権が、そんな危機感を持つのも無理はない。これらの決定に至る過程を、きちんと公文書として残すのは当然のことといえる・・・