国立競技場、黄昏の時代の象徴

7月23日の朝日新聞文化欄、「建築批評家、五十嵐太郎・東北大教授に聞く」「国立競技場、黄昏の時代の象徴」から。

・・・東京は、ニューヨークや上海など活気ある他のグローバルシティーに比べ、もうあまりイケていないと思う。なのに、日本や東京はまずいのではないか、と気づいていない点がまずい。そういう意味では、まだ絶望が足りないと感じます。
2度目の東京五輪に2度目の大阪万博。そして2度目の札幌五輪も目指されている。過去の成功モデルばかりで心配になります。
建築の分野でいえば、五輪というのは普段できないようなプロジェクトの背中を押す意味がある。1964年の五輪でいえば、丹下健三設計の国立代々木競技場だけでなく、芦原義信の駒沢体育館や山田守の日本武道館ができました。武道館はシンボリックで、今も愛される建築です。

今回は、有明体操競技場(江東区)や東京アクアティクスセンター(同)などができましたが、五輪だからこそできたという特別感がない。国立競技場も含めて木が多用されています。木を使えば日本的だと言われますが、木を建築に使う国は世界中にあって、日本だけではない。64年の五輪のころは、日本の伝統をどう現代建築で表現するかという本質的な「伝統論争」があったんですが、それに比べて議論のレベルが低い・・・

・・・厳しすぎるかもしれませんが、時代が経ったとき、競技場は日本の転換点、衰退の始まりを示すものと思われるかもしれません。
丹下の国立代々木競技場は日本の高度成長の象徴でした。今度の競技場は黄昏の時代の象徴になってしまったと感じています・・・