外国人への扱い

7月7日の朝日新聞オピニオン欄「入管は変われるか」、鈴木雅子弁護士の発言から。

・・・「外国人」という呼び方が象徴するように、日本社会は日本国籍を持たない人たちを「外側」に置き、社会の構成員ではない、と遠ざけてきた面があると思います。なかでも在留資格がなかったり、難民申請中だったりする人だと、何が起きようと政治イシューにもならない。今のような入管行政を温存してきたのは、こうした日本社会の無意識の「容認」だと感じます。
こうした入管行政を法的に支えてきたのが、1978年に最高裁大法廷が出した「マクリーン事件」の判決です。

ベトナム反戦デモに参加したことを理由に在留期間の延長を却下された米国人の英語教師が訴えた裁判の上告審で、最高裁は「外国人の基本的人権保障は在留制度の枠内で与えられているにすぎない」と断じました。
出入国管理法(入管法)を憲法の上に位置づけるとも言える内容で、これが「在留資格のない外国人には人権はない」かのように用いられ、在留資格を失った外国人が恣意的に収容されたり、仮放免で社会に出ても就労して生計を立てることが許されなかったりする状況にお墨付きを与えてきました。

実際には、国際社会は自由権規約や子どもの権利条約などを通じて外国人の人権保障への考え方を発展させ、実践してきています。マクリーン判決は、日本がこうした国際人権条約に入っていなかった時代に出されたものですが、日本の入管と司法は、この40年以上前の判決の思考からいまだに抜け出していません・・・