かつて紹介した「黒江・元防衛次官の回顧談」。市ヶ谷論壇で、その続きが始まりました。6月22日は「冷戦終結がもたらしたもの (上 )自衛隊の海外派遣」でした。
・・・8年目の役人と言えば防衛庁では若手の部員で、その頃までには役所の仕事の基本的な考え方を一通り身につけることとなります。
しかし、当時の私は「陸 自師団の特科 (砲兵)部 隊に配属されている榴弾砲は何 門か。それは何故か」とか「自衛隊は憲法上何が出来ないのか」あるいは「陸自部隊の駐屯地と分屯地の違いは何か」とかについてはスラスラ答えることが出来ましたが、戦略的な課題 については全く考えたことがありませんでした。
これはもちろん私 自身のセンスの問題ではありましたが、防衛庁の実務がなべて内向きだつたことも一因だつたように感じます。運用課 に勤務していた頃、出向先の外務省から帰つて来た先輩が「外務省は有事官庁だからなあ。それに比べて防衛庁は・・・」とばやくのを聞いたことがありました。外務省は、常に変化を続 ける国際情勢 にリアルタイムで対応 しなければなりません。また、経済官庁も日々動いている経済を相手に仕事をしています。
これに対し当時の防衛庁の仕事は、予算の獲得や 自衛 隊の行動などに対するネガティブチェック、あるいは国会で問題 とならないような無難な答弁作りなどが中心で、ダイナミズムに欠けるところがありました。このため、陰では政策や戦略に弱い「自衛 隊管理庁」などと椰楡されていました。
冷戦構造が維持されていて 自衛隊の対応が求められるような場面がほとんどなかつた時期 にはそうした仕事ぶりでも良かったのですが、ベルリンの壁が崩れた後はそれでは済まなくなつて行きました・・・