女性管理職増加への「お試し課長経験」

5月17日の日経新聞女性欄に、「管理職体験し「私もできる」 三井住友海上、課長職など4日間代行」が載っていました。
・・・女性活躍推進が声高に叫ばれながらも、女性管理職比率は思うように伸びない。管理職になりたがらない女性社員が多いからだと企業は嘆く。未知の領域への挑戦は誰もがためらうもの。ならば女性の不安解消のために管理職を一時的に実体験させてみてはどうだろうか――三井住友海上火災保険は女性管理職増加へユニークな施策を試みた・・・

・・・三井住友海上火災保険の20年度女性管理職比率は15.1%。ここ3年で7ポイント上昇したが、女性社員比率65%と比べると物足りない。なぜ増えないか。一因は女性の意識だ。課長になりたいかを社員に尋ねた調査に、男性は87%が「なりたい」と答えたが、女性は13%にすぎなかった。「責任が重すぎて無理」「結婚・子育てとの両立ができそうにない」などの声が上がった。
だが本当に管理職は女性にできないのか。実情が分からず、尻込みしているだけではないか。そんな問題意識から、部下持ち課長の職務を体験してみる「マネジャー・チャレンジ」(略称マネチャレ!)を昨年度始めた。
対象は営業部門。社内でも特に女性管理職比率が低い。何かあればいつ何時でも顧客対応が求められる。数値目標の達成の重責も担う。女性に向かないポスト――女性に限らず男性も、そんなアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を持っている。あえて厚い壁を突き崩す狙いだ。
4日間連続で1人の課長に密着し、可能な限り業務を代行する。新任マネジャー研修も事前に受講して、マネジメントの基礎を学び、23人の女性社員が課長になってみた・・・

・・・子育てとの両立でも光明がみえた。支社長代行として5人の部下と人事面談する中で、管理職は仕事を1人で抱え込まずとも、部下に上手に権限委譲すれば部署を回せると気づいた。「ワーキングマザーも管理職になれる」
23人は「マネチャレ!」前、全員が管理職になりたくないと考えていた。だが、挑戦後に22人は「なってみたい」と変化した。1人ではなし得ない仕事ができ、部下の成長に寄り添える。重責に見合うやりがいを体感したからだ・・・
詳しくは、原文をお読みください。

外交官 杉原千畝 命のビザ 続編

昨年12月に、あいおいニッセイ同和損保が、10周年記念事業として「外交官 杉原千畝 命のビザ」の動画を配信していることを紹介しました。その企画は終わったのですが、好評につき、続編を提供しています。「外交官 杉原千畝 命のビザ 続編

今回は、杉原さんの足跡を取り上げるとともに、日本全国にある杉原さんゆかりの地を訪ね、史跡や関連施設を紹介します。前回の動画も要約版(12分)で見ることができます。
第1回目は福井県「人道の港 敦賀ムゼウム」です。

デジタル時代の自己情報の所有権

5月14日の読売新聞、トーマス・イルベス・エストニア前大統領の「私のデータ 私に所有権」から。
・・・エストニア人は半世紀にわたり、ソ連という警察国家で全体主義的に統制され、プライバシーを侵害された。だから、(1991年の独立後に進めた)行政のデジタル化では、透明性を確保して国民の信頼を得る必要があった。

全ての国民は健康や徴税、財産など自分に関する全てのデータの所有権を持たなければならない。具体的にはまず、誰があなたのデータを見たか知ることができなければならない。自分のサイトで、誰があなたの情報を見たのかが分かるようにする。
誰がどのデータを見れば合法的で、誰がどのデータを見れば違法になるのかも決める。例えば、私は自分の医療データを見ることができるが、医者以外の人は見られない仕組みにする。警察は私の交通違反の記録を見ることができるが、健康に関する記録は見られないようにする。

これらを保障するためには、データがどのように入手されたかが記録されていなければならない。こうした透明性の確保やデータ保護を進めるかどうかが、民主主義国家と権威主義国家の大きな違いだ・・・

連載「公共を創る」第80回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第80回「社会の課題の変化―多くの社会生活問題に共通の背景」が、発行されました。

第71回から「社会の課題の変化」として、成熟社会日本に生まれた新しい不安を取り上げています。それらを、格差と孤立で整理するとわかりやすいです
今回は、格差を取り上げます。「平等な日本」と満足していた私たちを驚かせたのが、格差の拡大です。「一億総中流」と信じていたら、実態は大きく変わっていたのです。
大昔から、そして発展途上時代にも、社会には不平等や格差がありました。しかし現在の格差は、それらとは性格が違います。それは、夢をも奪うものなのです。

インターネットとの付き合い方

5月14日の朝日新聞オピニオン欄、ドミニク・チェン早稲田大学准教授の「わかりあえなさと共に」から。
――コロナ禍で人に会う機会が減り、ネットに1人で向きあう時間が増えました。コミュニケーションの研究者として、この1年あまり、なにを感じてきましたか。
「大学の現場では試行錯誤が続くなか、講義を映像でいつでも見返せるようになるなど、合理的な変化も起きました。オンラインでも、学生たちと一緒に学んだり、現状に対して批評的に考えたりすることはできると感じています」
「ただ、会って話すときのコミュニケーションの豊かさは、簡単には置き換えられません。人は本筋とは関係ないノイズ、つまり雑音のような情報の海の中を漂いながら、コミュニケーションを成立させるための信号を発したり受け取ったりしています。しぐさ、表情、あいづち……。この研究室の書棚の本の背表紙や置物、窓の外の風景も、理解を深める大事な情報です」
「それが、オンラインでは顔と声を除く膨大な量の情報がそぎ落とされてしまう。相手が置かれている環境や言葉の裏の感情を読み取ることは難しい。自分の話し方も、つたなくなっていく」

――グーグルやアップル、フェイスブックなど「GAFA」と呼ばれる巨大IT産業が、こうした情報を差配しているとして、批判も強まっています。
「米国の西海岸に特有の、技術が進化すれば人類の悩みは解決するという、テクノロジー信仰と自由放任的な資本主義があいまって、フィルターバブルやSNS上の分断を加速させた、ということは言えるでしょう」
「収益を最大限にするため、利用者の自社アプリに対する中毒状態をいかにつくるか――。米国から中国まで数学や心理学の博士号を持つ世界の天才たちが、そんな仕事をしている。スマホのアプリは、利用者の特定の情報に対する飢餓感を誘発するように設計されている。反倫理ではないが、非倫理。悪意はないが、倫理の要素が抜け落ちていた。選挙の操作や若者たちへの精神的な影響などが指摘され、規制や再考を促す議論が始まっているところです」

――著書「未来をつくる言葉」を書くきっかけにもなった娘さんは9歳。デジタルとはどう付き合っていますか。
「注意を収奪されるものは使わせないようにしています。たとえば、ユーチューブは自動再生機能があるので、自分で選択したのではない情報に満足する状態に慣れてしまう。大人も中毒になりかねないものを無自覚に子どもに与えるのは、危険だと思います」
「ネット中毒とは、自らの意思とは関係なく時間を奪われてしまうことです。リテラシー(見極める力)を高めるためには、日本でも広くプログラミングを教育に取り込むべきです。そうすれば、子どもはプログラムの設定を少し変えるだけで情報の出方が違うことを体感できる。自分が企業の設計しだいで操作されてしまう世界で暮らしていることもわかります」