ビデオ講演の難しさ

先日の「世界銀行セミナー」は、10分間の講演でした。放映は3月18日でしたが、2月に事前収録しました。英語字幕作成などの作業も必要だったので。

いや~、10分は難しいです。
昨日載せた「短い演説の準備」は、同感です。10分より30分の方が準備は楽で、30分より60分の方が楽です。ただし、60分を超えると話している方も疲れるし、聞いている方はもっと疲れるでしょう。大学での講義は、時間が足らなくなったら、次回に回せます。
その点で十分準備が必要なのは、結婚式の祝辞です。3分間に何を盛り込むか。冒頭の「つかみ」と、最後の「締め」が決まれば、できたも同然です。初心者は、ここを間違うようです。投手と同じで、最初に決めるのは、その打者に最後に投げる「決め球」で、そこから初球、その後に追い込む球を組み立てるのです。

テレビ映りも、難しいですね。話す内容を書いた資料を手元に置き、投影中の資料をパソコンで見ると、そちらに目線が行って、下を向いてしまいます。顔が、カメラの方を向かないのです。あと何分あるかと、手元の時計を見る時もです。
「テレビニュースのアナウンサーは上手だなあ」と思いましたが、いくつか違いがあるようです。アナウンサーは、カメラ近くのプロンプターに原稿が写し出されていて、それを見ています。総理が記者会見で、透明なプロンプターを使うのと同じです。下を向かなくても良いように、機器が設定されているのです。

次に、アナウンサーは、書かれた原稿を読むのであって、聴衆と対話をしているのではありません。
先日「オンラインゼミの舞台裏」を載せました。そこに、「カメラに向かって話すのと、人に向かって話すのとでは、「話すこと」の意味が違うようです。対話や会話は、相手の表情(反応)を見て話すのであって、カメラ相手では、それができません。人間のしゃべりとして不自然なのです。」と書きました。
その後も、ビデオによる講演や、対面とビデオを組み合わせた講演をいくつかこなしました。いよいよその考えを確信しました。聴衆の反応を確かめながら話す対話と、一方的に話す放送とは、別物です。

ところで、ビデオを見た人から「わかりやすかった」との意見のほかに、「標準語でしたが、数か所関西弁でしたね」との指摘も。え~、私が東京弁でしゃべっていたのですか。不覚でした。もっと意識して関西弁で話すべきでした。笑い。