容姿を気にする

1月13日の朝日新聞オピニオン欄「「ありのままの姿」って」が参考になりました。

世界調査が載っています。「自分の容姿を肯定的に受けきれていない」と回答は、多くの国が50%程度なのに、日本は93%です。
日本の若者の自己肯定感が低いことは、ほかの調査でも指摘されています。なぜなのでしょうか。連載「公共を創る」でも、この点は気になっているのですが、うまく組み込むことができていません。
「メディアの女性画像の多くがデジタル加工・修正されていることを知っている」は、世界平均が69%に対し、日本は37%という数字も載っています。日本人は素直なのでしょうか。

金敬哲さんの発言から。
・・・「ありのままで生きる」なんて、のんきなことは言ってられない。これが老若男女を問わない、今の韓国人の考え方です。韓国社会では、就職や出世の激しい競争を生き抜くために、学歴だけではなく、ルックスも有力な武器となっているからです。
韓国はもともと世界有数の「美容整形大国」でした。「整形」への偏見が少なく、ソウルの江南地区には病院が並び、「ビューティーベルト」と呼ばれています。大学に合格した娘に、親が二重まぶたの手術をプレゼントするのはよくあることです。
最近の傾向は、中年の男性客が増えていることです。ある大企業ではオーナーが代替わりしたら、年上の役員たちが目元の脂肪を取り除いたり、おでこのしわをとったりして若返りを競ったそうです。美容整形のお得意さんには弁護士や塾の先生、開業医も多く、性別は問いません。
利用者は、若い容貌が快活な印象を与え、信頼度を高めると信じています。「外貌至上主義」と呼ばれるこうした考え方が男性にまで広がったのは、1997年の通貨危機がきっかけです。多くの企業が倒産し、雇用情勢が悪化しました。国際通貨基金(IMF)などから多額の支援を受けて経済は回復したものの、財閥系企業と中小企業の待遇の差は広がり、非正規労働者も増えました。
たとえ大企業に勤めていても出世競争に敗れれば、定年前の退職を余儀なくされることも珍しくありません。先が見えない不安社会で生き残るために、誰もが「ルックスを良くしたい」と考えるようになったというわけです・・・

アメリカの経済格差

1月21日の各紙は、バイデン大統領就任を伝えていました。日経新聞1面「米、分断克服へ経済再生 バイデン大統領就任」に、アメリカの経済格差が紹介されています。
・・・トランプ政権によるコロナ禍の米経済対策は、格差をむしろ助長してきた。資産価格の上昇で超富裕層の上位1%の純資産は36兆ドルと半年で5兆ドルも増加し、全世帯の下位半分(2.4兆ドル)の15倍になった・・・
3面には、所得階層別の純資産推移が載っています。

知人に聞くと、FRBの推計とのこと。「Distribution of Household Wealth in the U.S. since 1989」。その「Wealth by wealth percentile group」の「Levels 」には実数字が、「Shares」には割合が出ています。色分けしてありグラフに、パソコンのカーソルを合わせると数字が出ます。
直近では、上位1%が30.8%を持っています。上位2%から10%で38.4%です。合わせると、1割の金持ちが約7割の富を持っています。下位半分は、合わせても2%しか持っていません。

他国のことを心配する前に、日本の状況は見る必要があります。この調査と同じものは、見つけることができませんでしたが、貧困率の調査があります。
厚労省の「国民生活基礎調査」の「貧困率の状況」では、2018年の貧困線(全国民の等価可処分所得の中央値の半分)は 127 万円で、「相対的貧困率」(貧困線に満たない世帯員の割合)は 15.4%です。
世界比較では、アメリカ17.8%より下(平等)ですが、ヨーロッパ各国(例えばイギリス11.7%、フランス8.5%)より上(不平等)にあるようです。日本はもはや、平等な国ではありません。

連載「公共を創る」第70回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第70回「日本は大転換期―成熟社会の達成でなくなった日本の目標」が、発行されました。
今回は、かつての社会意識が現在では適合しなくなっている問題を幾つか指摘します。

・日本の成長を支えた社会意識が、負の効果を生んでいる場合があります。例えば「向都離村」の意識です。若者が故郷を離れ都会に出ました。それが日本の経済発展を支えました。しかし他方で、田舎には若い人が残らないことになりました。
・閉鎖的な村では、村人は互いに支え合う一方で、よそ者を警戒することで、他者との信頼をつくることが下手になりました。会社に抱えられた社員は、安心し自らを磨こうとしなくなりました。
・欧米が個人主義であるのに比べ、日本は集団主義だといわれてきました。しかし、そうではないと思います。多くの日本人は、世間の判断に従います。それは、自発的判断でなく、世間の目が厳しいので仕方なく従っているのです。それは、我が身を守っている「個人主義」ではないでしょうか。
集団主義には、受動的集団主義と、能動的集団主義があるようです。受動的集団主義は、決められたことを受け入れることです。能動的集団主義は、社会や組織をつくることに積極的に関与することです。そうしてみると、日本は受動的集団主義ですが、能動的集団主義ではないのです。社会参加が低いことは、その現れです。

戦後75年、日本の政治制度の骨格が変わっていないのに、社会の変化は驚異的でした。終戦直後まで、日本人の約半数が農業に従事し、大半の人が農村に暮らしていました。その後の経済発展によって、多くの人が農村の暮らしから離れ、勤め人になりました。そして、豊かで自由な社会を実現しました。私たちの暮らしにとって、3000年も続いた長い弥生時代が終わる、大変化の時代だったのです。この半世紀に起きた「長い弥生時代の終了」と「成熟社会の実現」が、行政や公共の在り方に変更を迫っています。

これで、第3章「日本は大転換期」を終えて、次回からは第4章「政府の役割再考」1「社会の課題の変化」に入ります。

シンポジウム「東日本大震災から10年」、2

21日の仙台でのシンポジウム、22日の朝日新聞に紹介されています。
・・・基調講演では、岡本全勝・元復興庁事務次官が「戦後初めて経験する人口減少の中での復旧・復興事業だった。今後、まちづくり計画を作るうえで、どう規模を抑えるかが次の課題だ」と指摘。御厨貴・東京大学名誉教授は「定住者と復興支援で訪れた人とのつながりの中で、関係人口・関心人口を広げることが大事」と述べた・・・
詳しくは、31日付朝刊に載るとのことです。

昨日の記事にも加筆しましたが、ビデオは23日まで見ることができるそうです。

シンポジウム「東日本大震災から10年」

今日は、仙台市で開かれたシンポジウム「東日本大震災から10年~復興の教訓と未来への展望」で、基調講演をしました。もう1人の基調講演は、御厨貴先生です。視聴はオンラインですが、登壇者の多くは現地に集まりました。会場でも、感染防止に気を遣っています。換気のため風通しが良く、寒かったです。
(ビデオ)
私の出番は22分からです。23日まで見ることができるそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=F9mKyDbHETE&feature=youtu.be

私の話は、この10年間で行政は何をしたか、そして何が残っているかです。
これまでにない災害に対し、これまでにない対応をいくつもしました。それを全体としてみると、「国土の復旧から生活の再建へ」という哲学の変更でした。
しかし、住民の戻りは十分でなく、「過大な防潮堤」批判もあります。
それについての考えを、お話ししました。今後の教訓にしてもらうためです。
(使った資料)
https://www.hemri21.jp/contents/pdf/a_e_intellectual_exchange/20200105_2_1.pdf

石橋英昭・朝日新聞仙台総局編集委員からは、「まちの復興とひとの復興」という視点からの、課題整理と問題提起がありました。私にとっては、我が意を得たりです。
マリ・エリザベス・東北大学准教授からは、被災者支援にまだ改善の余地があること、すべての問題を完璧に解決することは限界があること、被災者自身がともに考えていくことが必要との指摘がありました。これも、ありがたい指摘です。
御手洗瑞子・気仙沼ニッティング代表取締役からは、産業再建のためのグループ補助金が従来の施設設備の復旧にしか使えないことの問題指摘がありました。これも重要な指摘です。今回初めて産業再開に国費を入れたのですが、発想は復旧でした。しかし、元に戻すという思想では、これからの産業再生は困難でしょう。町づくりも、人口減少下では、戻すのではなく将来を考えた計画が必要です。