社会問題、大きな物語と個別の物語

1月15日の朝日新聞オピニオン欄、山本太郎・長崎大熱帯医学研究所教授の「感染症と生きるには 新型コロナ」から。

4千人以上が国内でも亡くなっている現状をどうみますか。
「二つの物語が進んでいます。一つはウイルスとの共生、社会経済との両立、集団免疫の獲得という大きな物語。もう一つは個別の物語。たとえば『祖母が感染して亡くなった』というものです。社会全体からみれば10万人に1人の死でも、家族にとれば大切な一人。医師としては、個別の物語に寄り添いたいとの思いをもちつつ、大きな物語を意識せざるをえない。中長期的に、あるいは公衆衛生学上、ウイルスとの共生が望ましいとしても、そのために命が失われてかまわないということではありません。個別の物語に寄り添い、葛藤を乗り越え進んでいかなくてはならないと思うのです」

そうなんです。私も被災者支援をしたときに、個別の方の事情を聞いて支えたいと思いつつ、私の仕事は個別の被災者相手ではなく47万人が相手だと、自分に言い聞かせました。

そこに至るまで、どれだけ努力したか

1月22日の読売新聞夕刊「言葉のアルバム」、細谷雄一・慶應大学教授の「相手国 歴史含めて理解」から。

・・・気鋭の国際政治学者は、恩師である北岡伸一・国際協力機構(JICA)理事長のこの言葉を大切にしている。
「その時にどのような位置にあるかではなく、その時にどれだけの努力をするかによって評価することが大事」
北岡氏との出会いは1990年、立教大1年生の時に受講したゼミだ・・・
・・・ある日のゼミで、「米国が理想主義を掲げながら、国内に人種差別の問題を抱えるのは偽善的ではないか」と議論になった。北岡氏は、米国の偽善を批判する前に、「米国という国家が人種問題を乗りこえるために、どれだけの努力を払ってきたかにも目を向けるべきだ」と説いた。そして「それは人間を評価する時も同じだ」と付け加えた・・・

・・・恩師の言葉は国際政治の分析にもあてはまる。歴史を含めて相手国を理解する努力が外交の基本であり、国際関係を維持する重要な要素だ。戦争はその不足から生まれる。世界は今、そのことを忘れかけているのではないかと危惧している・・・問題が起きると、どうしても相手国の欠点や問題点を探してしまう。でも、どうしてその国がそういう行動をとるのか、偏見を持たず、もう少し粘り強く理解する。混迷する世界をそうした眼で見つめていきたいと考えている・・・

アルファベット日本語

1月23日の朝日新聞「ことばサプリ」は「SDGs」を取り上げていました。
・・・ここ最近、毎日のように新聞で目にするようになった「SDGs(エスディージーズ)」という言葉。地球環境の改善や社会での共生など、2030年までに達成を目指す17の目標のことですが、少しとっつきにくい印象がぬぐえません。
「どう読んだらいいのか分からないという声を聞きますね。外来語だと身近に感じにくいかな、という思いもありました」。SDGsの研究・紹介に携わる蟹江憲史・慶大大学院教授は、悩みを打ち明けます・・・

この言葉を広げたい人の怠慢だと思います。新聞社も怠慢です。「中学生がわかる言葉で」と言っておきながら、これでは国民に理解してもらえませんわ。わかりにくい業界用語を、一般人にわかるように書き換えることもマスコミの任務だと思います。「持続可能目標」ではダメでしょうかね。
クラスター、ソーシャルディスタンスなども、子どもでもわかる言葉、国語辞典を引けばわかるあるいは想像できる言葉にして下さい。

私のホームページでは、しばしばカタカナ英語、すなわち日本語の中で使われるカタカナの英語らしき日本語を批判しています。SDGsのような単語は、カタカナ英語を通り越して、アルファベット日本とも呼ぶのでしょうか。
会社名でも、アルファベット3文字が増えています。でも、消費者に広く覚えてもらうことを放棄しているとしか思えません。「アルファベットの会社名

ちなみに、朝日新聞のこの欄の名称は「ことばサプリ」で、サプリというわからない言葉を使っています。「この言葉は何を意味しているか」を高校入試に出したら、何が正解でしょうか。「天声人語」氏や「素粒子」氏に聞いてみたいです。

慰霊から心のケアへ

朝日新聞別冊グローブ1月号特集「心のレジリエンス」に、「慰霊から心のケアへ」が載っていました。

・・・一度に多くの人が亡くなる災害。「不条理」ともいえる悲しみに、宗教はどう向き合ってきたのか。亡くなった人たちの鎮魂・慰霊のための「祈り」から、残された人たちの「心のケア」への取り組みが始まっている。
東日本大震災で4000人近くの死者・行方不明者(関連死含む)が出た宮城県石巻市。昨年11月初旬、曹洞宗通大寺住職の金田諦應さん(64)が2011年に始めた移動傾聴喫茶「カフェ・デ・モンク」が開かれた。新型コロナの影響で約9カ月ぶりだった。20人余りがコーヒーを飲んだり、マニキュアを塗ってもらったりしていた・・・
・・・金田さんは宮城県を中心に各地でカフェを毎月のように開いてきた。「被災者が自然に喜怒哀楽を出せる日常に戻る手助けをしたい」。それが金田さんたちの思いだ。仲間には神主も牧師もカトリックのシスターもいる。だからカフェで布教はしない。共通するのは、死者を弔い、被災者の話に耳を傾け、土地の人々に寄り添って生と死をつないできたという自負だ・・・

・・・上智大グリーフケア研究所長の島薗進さん(72)は震災の翌月に「宗教者災害支援連絡会」を設立し、代表に就任した。仏教やキリスト教、新興宗教が参加。地元の僧侶を中心に始まった「心の相談室」にも様々な宗教が集まり対応にあたった。島薗さんは「心のケアは主に医師や臨床心理士が担っていたが、大惨事に直面して『死にどう向き合うか』というスピリチュアルなところに踏み込まざるをえなくなった」と指摘する。

宗教者による心のケアは、欧米ではキリスト教会が育成する「チャプレン」が、病院などで行うことが多い。イスラム教の国では患者と医師ら「ケアされる側とする側」が同じ教えを共有している。島薗さんは「特定の宗教色が強く出ないようにするのは日本特有のかたちで、米国などでも広がりつつある」という。
日本でそうした宗教の枠を超えた心のケアが広がった背景には、「政教分離」の側面もある。「戦前・戦中の国家神道への反動もあり日本は『信教の自由』に非常にセンシティブだ」。日本宗教連盟と全日本仏教会の理事長を兼務する戸松義晴さん(67)はそう説明する。

東日本大震災でも、憲法の規定を理由にさまざまな問題が起きた。市町村が主催する慰霊式では、参加者全員が寺の檀家(だんか)でもお経は唱えられず献花のみ。火葬場に入ることも許されず、建物の外でお経をあげたこともあった。事前に行政と協定を結んでいない寺が避難所になると、行政からの支援物資を配れないこともあったという。
ただ、新型コロナウイルスの感染拡大で不安が増すなか、宗教の役割が注目されつつある。全日本仏教会が「寺院・僧侶に求める役割」について聞くと、これまでは「特になし」という回答が多かったが、昨年8月のアンケートでは「不安な人たちに寄り添う」が3割を超えた。戸松さんは「葬式仏教にとどまらず、日々の生活で必要とされるよう、ふだんから人に寄り添い、信頼関係をつくっておかなければならない」と話す・・・

この主題は、拙著「復興が日本を変える」や、連載「公共を創る」第69回でも取り上げました。

肝冷斎、一部復活、その2

肝冷斎、一部復活」の続きです。ことの顛末が、載りました。「肝冷斎にようこそ日録」の冒頭に、次のように書かれています。

訪問くださった方、ありがとうございます。以前のホームページが故障し、更新してもアップできません。アップせずに「地下に潜って活動じゃよ」と洒落こんでいましたが、偶然の機会に新しいホームページを作ってみました。
ほとんどの記事は以前のホームページに置いたままなので、本格的にはどうしようかと悩んでおりますが、しばらくこの体制でやって、夏になったらネコでも飼いながらゆっくりあり方を見直そうと思っております。
その間、令和2年11月以前の日誌や調査や観タマ記を、もし見てくださるようなキドクな方があれば、http://www.mugyu.biz-web.jp/nitiroku.index.htmをご覧ください。

以前のように毎日、漢文解説を載せ、週末には各地調査にも出かけているようです。