低い在宅勤務の生産性

12月9日の日経新聞経済教室「コロナ危機と生産性」、森川正之・一橋大学教授の「在宅勤務の適切な利用カギ」から。
・・・以下、アフターコロナの生産性向上のために求められることを考察したい。
第1は在宅勤務の適切な利用だ。緊急事態宣言前後から大企業のホワイトカラー労働者を中心に在宅勤務者が急増し、オンライン会議などデジタル技術の活用が進んだ。しかし筆者が経済産業研究所で就労者および企業を対象に実施した調査によれば、在宅勤務の生産性は職場に比べて平均で3~4割低い。在宅勤務の生産性は、業務の性質や労働者の属性による分散が非常に大きく、ごく少数ながら在宅の生産性の方が高い人もいる。だが感染抑止のために半強制的に実施された在宅勤務の生産性は、少なくとも平均的には職場の生産性に遠く及ばない。

デジタル化が進んだとはいえ、対面での緊密な意思疎通の効率性は高いし、雑談から新しいアイデアが生まれることも多い。また職場内訓練(OJT)や組織内の擦り合わせは遠隔では難しい面がある。在宅勤務の生産性には突然始まったことに伴う調整コストも影響しているので、学習効果や自宅の情報通信インフラへの投資を通じて改善するはずだが、職場並みの生産性になることは期待しづらい。実際、コロナ前から在宅勤務をしていた人でも、職場に比べると在宅の生産性は平均で2割ほど低い・・・

・・・職場か在宅かの二者択一ではなく、リアルとオンラインの長所・短所を考慮して業務の性質に応じて使い分ければ、本来はトータルでの生産性にプラスになる。ただし職場の方が効率的な業務の存在を考えると、完全在宅勤務が最適な労働者は例外的で、在宅勤務者でも週2~3日は職場に出勤するといった形での利用が主流になるのではないだろうか・・・

岩手・宮城の仮設住宅、来年3月末までに解消

12月12日の読売新聞が「岩手・宮城の仮設住宅、来年3月末までに解消 最大時6万5483戸」を伝えていました。
・・・東日本大震災で被災した岩手、宮城県で最大6万5483戸(16万7368人)あった仮設住宅が、震災から10年となる来年3月末までに解消されることがわかった。津波の被災地に最後まで残る98戸218人(11月末時点)の大半は、災害公営住宅などへ転居の意向を示している。一方、東京電力福島第一原発事故で被災した福島県の避難者は、県内外の仮設約900戸に約1600人が暮らし、解消のめどが立っていない・・・
参考「災害公営住宅完成

連載「公共を創る」第66回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第66回「日本は大転換期―孤独の増加が生む社会の不安定」が、発行されました。
成熟社会での生き方を模索している日本。私生活の問題のうち、今回は付き合いが減ったこと、それが孤立を生んでいることを取り上げました。
自分から、友人や付き合いを積極的につくらないと、孤立するのです。それは、高齢者特に男性に顕著に表れています。

復興庁で活躍した民間人

12月10日の読売新聞夕刊に、「我ら東北サポーター130人、被災企業と汗 民間から復興庁出向」が載っていました。
・・・東日本大震災で被災した東北の企業を支援するため、民間企業から復興庁へ出向した人が130人を超えた。被災で失われた販路の回復や情報発信などに尽力し、任期を終えた後も「サポーター」として応援を続ける人も多い。震災10年を前に「被災地は第二の故郷」との思いを強くしている。
復興庁は2012年2月の発足以降、民間の力を活用しようと、1~3年の期限付きで出向者を募っている。これまでに通信や金融など43社・団体の計135人が採用された。・・・
記事には、ヤフーの高田正行さん、KDDIの花岡克彦さん、三越伊勢丹の川西恵理子さん(いわき沖で大きなヒラメを釣った人です毎日新聞)と、懐かしい人が紹介されています。

復興庁は、職員が足らないことから、企業にも派遣協力を求めました。「助っ人」として公務員と同じ仕事をしてもらうだけでなく、産業再開分野などで特にその能力を発揮してもらいました。公務員では出てこない発想で、政策を考えてくれたのです。
復興庁内に、そのための組織もつくりました。「民間企業との連携」。悩んでいる被災地企業と、知恵を出してくれる大手企業を「お見合い」させる「結の場」も、彼らが考えてくれた仕組みです。

お金の支援でなく、情報や人の支援の重要性を明らかにしてくれました。また、民間企業の人と知恵が、行政組織や政策に有用だということも、示してくれました。
慣れない仕事、職場でご苦労もあったと思います。ありがとうございました。

女川町の復興

12月11日の読売新聞に、宮城県女川町の航空写真が、大きく載っていました。被災直後の写真も載っていて、比較することができます。

・・・宮城県女川町の沿岸部には、防潮堤が建設されなかった。東日本大震災の直後こそ、高さ14メートルでの建設プランがあった。要望したのは商店主たち。これに町が反対した。津波の危険は完全にゼロにはできない。山に囲まれた女川の狭い宅地を削ることになる、とも。近くの山に、宅地を造成する工事が始まった。しかし、ぶち当たったのは、本物の壁だった。山の下は固い岩盤だったのだ。
「周辺は人が住み、病院もあるような場所。重機だけでも気をつかうのに、何度も発破しなければならない。貴重な経験でした」。現場責任者だった鹿島建設の星野亨さん(43)は振り返る。騒音や振動が抑えられる特殊重機を投入したり、火薬の量を通常より減らして発破したりして、10トンダンプ120万台分の土砂を削り取った。安全な宅地を造る工事は結局、4年半も続いた・・・・

航空写真ではよくわからないのですが、海側は5mほどかさ上げされています。海から駅に伸びる赤い舗装道路の左下に、道路に囲まれた丸い施設があります。その中に、ひっくり返った交番が保存されています。周囲がかさ上げされたので、そこだけ底地になっています。