復旧事業費地方負担なし、関係者の声

先日の私のインタビュー記事「朝日新聞インタビュー「ミスター復興が語った後悔と成果」」に、地元関係者からお便りをいただきました。一部改変してあります。

・・・「地方負担ゼロも、それが当たり前という空気の中で(11年秋に)決まった。私も最初そう思ったが、しばらくしてよくなかったかなと」について、支援を受けた立場で言うのもなんですが、私もそう思います。
今回の被害は大きすぎて1%の負担でも被災自治体の負担は相当に上がり立っていられなかったかもしれませんが、地方負担ゼロにより事業の精査、見直しがおろそかになった面があるともいます。

それはハードだけでなく、ソフト面、例えば、人的応援において、早期の復旧復興にあたり他自治体からの応援は必要不可欠でしたが、応援を受ける自治体が「応援されることに慣れ、また、人件費負担もない」ということで応援要請が継続し、その一方でプロパー職員の育成が遅れたのではないかとも考えております・・・

後段の指摘も重要です。
被災市町村は被災者支援に追われ、新しい街づくり工事には十分な人手を割くことができませんでした。そもそも、市町村にはそれができる職員はいません。それで、他の大きな自治体から技術職員を派遣してもらいました。
ところが、その後に聞こえてきたのは、「街づくり工事を応援職員だけでやっていて、役場内で孤立している」との声でした。「用地買収など苦しい仕事を、応援職員に押しつけている」といった批判もありました。
応援職員に頼らざるを得ない実情もわかるのですが、このあたりは応援を受けている市町村幹部に配慮してほしいことでした。私も首長には注意喚起し、要請したのですが。

ジョブ型は成果主義じゃない

12月7日の朝日新聞「ジョブ型は成果主義じゃない」「広がりどうみる――名付け親・濱口桂一郎さんに聞く」から。
・・・「ジョブ型」と称した人事制度を採り入れる企業が増えています。日立製作所などの大手も導入し、日本型雇用が本格的に崩れるとの見方もあります。「ジョブ型」の名付け親として知られ、労働政策研究・研修機構で研究所長を務める濱口桂一郎さんは「ジョブ型は『成果主義』の代替用語ではない」。一体、どういうことなのでしょうか・・・

――「ジョブ型」を打ち出す企業が増えているのはなぜでしょうか。
「多くは単に成果主義の賃金・人事制度を『ジョブ型』と称しているに過ぎない。20年前に失敗した成果主義導入のリベンジ(雪辱)を果たしたい企業が、今度は、JD(ジョブ・ディスクリプション・職務記述書)を物差しにして社員を評価しようとしているのだろう。だが、そもそも誤解がある。ジョブ型は、一部の例外を除いて、労働者を評価なんてしない仕組みだからだ」
「ジョブ型は、その人がその仕事をできるかどうかは、ジョブに当てはめる前に評価する。やらせると決めた後は評価しない。あとは、その人がJDに書かれたことをやればJDに書かれた給料が支払われ続け、できなければ能力不足で解雇になる可能性があるだけで、評価や査定という話にはならない」

――配達員が会社と雇用契約を結ばず、個人事業主としてネットで仕事を請け負う飲食宅配の仕事は、もはや「ジョブ」ですらないという指摘もあります。
「ジョブは、多くの『タスク』の束だ。会社は一つひとつのタスクまで働き手に指揮命令していたら大変なので、タスクをまとめたジョブを、きちんと雇った労働者に任せ、その様子を監督することで、取引コストを低減してきた」
「ところが、情報通信技術や人工知能(AI)の進展で、プログラムさえ組んでおけば、人間が指揮監督しなくても個々のタスクをコントロールするメカニズムが可能になった。その代表例が、個々の運搬作業だけを任されているウーバーイーツなどの宅配や運輸の分野だろう」
「この仕組みが、もっと高度な仕事にまで入ってきたらどうなるのか。ジョブ型どころか、仕事はタスクにばらけ、人々は単発のタスクを請け負う『デジタル日雇い』として働く世界が来るかもしれない。欧米では、『雇用の時代』が終わり『請負の時代』が始まるという議論も起きている。仕事のタスク化は日本でも始まっており、決して人ごとではない深刻な問題だ」

内海健くん、大佛次郎賞受賞

12月15日の朝日新聞が、内海健著『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』(河出書房新社)が第47回大佛次郎賞に決まったことを、大きく伝えていました。この本は、このホームページでも紹介しました。うれしいですね、友人が大きな賞をもらうのは。

・・・数学の得意な理系少年だった。高校時代は奈良市に暮らしたが、入学してほどなく生徒会が職員室を占拠、ストに入ったという。まだ政治の季節だった。三島が楯(たて)の会を率いて陸上自衛隊の市ケ谷駐屯地に立てこもったのは、その年の11月である。「時代錯誤的だという感覚は持ったと思いますが、馬鹿げたことだという風に受け取ることはできませんでした」・・・

そうなんです。奈良女子大学附属高校は、そんなところでした。内海くんはバレーボール部、私はサッカー部と生徒会活動でした。彼は医者なので、時々わからないことがあると聞きますが、まだ彼の患者にはなったことがありません。

日本語の話し言葉と書き言葉、論理性を

12月12日の日経新聞読書欄、「理想のリスニング」著者の阿部公彦・東大教授の「英語のためにも日本語再考」から。

・・・日本語の話し言葉は英語に比べ「相手との良い関係や場の雰囲気を作るには便利だけれど、議論に必要な安定した論理性や表現が十分ではない」という。いっこうに当を得ない一部国会議員の質問や答弁が典型例だ。
雄弁術の発達した西欧語は往々にして「話し言葉がそのまま書き言葉として通用するくらいの様式性を備えている」。日本社会が西欧発の制度を土台にしている以上「日本語でも書き言葉に近い話し言葉を育てていく必要があるのではないか」・・・

職場の失敗、社長は辞任すべきか

12月9日の日経新聞夕刊コラム「十字路」は、「東証社長は辞任すべきだったか」でした。
・・・なんとも後味の悪さを残す処分だった。東京証券取引所のシステム障害と売買停止の責任を取り、宮原幸一郎社長が11月30日付で辞任した。本人が強い意志を固め、自ら辞任を申し出たという・・・それでも、果たしてトップが辞任する必要があったのかは議論の余地があろう。
海外取引所もたびたびシステム障害を起こすが、トップの辞任に発展した例は聞かない。11月にほぼ終日売買を止めた豪証券取引所は、おわびのリリースを出しただけだ。
東証は過去に大規模な障害を起こした反省から「ネバーストップ」をスローガンに掲げ、絶対に止まらないシステムの構築を目指してきた。
だが絶対に止まらないシステムなど存在しない。止まるたびにクビを差し出していては、いくらクビがあっても足りない。東証自身もいうように、障害が起きた際の「回復力(レジリエンス)」を高めることの方がより重要だ。

今回の東証のトップ辞任の根底にあるのは、常に完全無欠のシステムを求める日本社会に特有の暗黙の前提だ。それが東証の萎縮や過剰な品質を招きかねないリスクに、我々は目を配るべきだろう。
今回の売買停止に対し、内外の投資家からは不満はほとんど出ていないという。金融庁は「投資家の信頼を著しく損なった」と東証を批判したが、そもそも投資家が寄せる期待はそこまで高くなかったということだ。市場の魅力を高めるために、やるべきことは山積する。東証に萎縮している暇はない・・・

同感です。失敗や不祥事が起きると、おわびの記者会見があり、その際に「今後二度とこのようなことのないようにしてまいります」と発言があります。それを見ていて、時に「そんなの無理だよな」と思うことがあります。
原発事故は起こしてはなりませんが、自動車事故はしょっちゅう起きます。職員の不祥事も、職員数が多いと完全に防ぐことは無理です。
記者会見で社長を追求している記者さんだって、属している会社が「絶対不祥事を起こさない」とは考えていないでしょう。