低い在宅勤務の生産性、2

12月13日に「低い在宅勤務の生産性」を紹介しました。記事に出てくる、経済産業研究所の調査は、「コロナ危機下の在宅勤務の生産性:就労者へのサーベイによる分析」です。簡単には、「ノンテクニカルサマリー」がわかりやすいです。

在宅勤務の生産性(主観的評価)は、平均値で職場の約60%、中央値で70%です。新型コロナを契機に開始した人の在宅勤務の生産性は平均約58%で、平時から行っていた人約77%に比べて低下が大きいです。
在宅勤務の生産性が職場に比べて低下する理由としては、フェイス・トゥ・フェイスでの情報交換の欠如、自宅の情報通信設備の制約、法令や社内ルールによる制約などが挙げられています。

被災地、宅地造成完了

12月22日の日経新聞夕刊が「東日本大震災被災3県の宅地整備が完了 1万8000戸分を造成」を伝えていました。

・・・東日本大震災の津波で壊滅的な被害が出た岩手県陸前高田市は、被災者が住宅を再建するためにかさ上げした宅地の造成を終えた。22日までに引き渡し手続きを開始。これにより岩手、宮城、福島3県で計画されていた1万8227戸分の宅地整備が震災10年を前にようやく全て完了した。
被災3県で、津波で浸水した地域のかさ上げや高台移転で整備した宅地の内訳は、岩手7472戸、宮城8901戸、福島1854戸。宮城県と福島県では、今年3月に完了していいる・・・

宅地の上に各人が住宅を建てるので、住宅の完成はまだ少し先です。

しんにょう

今年も、年賀状書きにあえいでいます。皆さんは、もうお済みですか。
1枚1枚は大した作業ではないのですが、枚数が多くなると、根性が続きません。

また、子どもの時に習字を習わなかったので、きれいな字が書けません。これではいけないと、就職してから少しペン習字をやりました。教えてもらうと、きれいに書くコツがわかります。とはいえ、まっすぐな線がまっすぐに書けず、字はバランスよく書けません。画数の少ない文字が、難しいですね。

特にうまく書けないのが、しんにょうです。「進」などの、左側から下にかけてです。
インターネットで「ペン習字 しんにょう」と調べたら、上手な書き方が出ていました。多くの初心者にとって、難しいのだそうです。なるほど、こう書くのか。

糸魚川大火から4年

12月22日の日経新聞夕刊が、「糸魚川大火4年 住民4割戻らず 事業所再開も低調 高齢化や後継不足」を伝えていました。
・・・2016年12月に新潟県糸魚川市で108世帯223人が被災した大火で、住民の居住先がほぼ決まった結果、約4割が被害に遭った地域に戻っていないことが22日までに、市への取材で分かった。被災地内で再開した事業所数が半数以下にとどまったことも判明。いずれも高齢化や後継ぎ不足が原因とみられ、復興が一定の区切りを迎える中で、全国の地方都市に共通する問題が浮かび上がってきた・・・

東日本大震災の被災地でも、住民の帰還が進まず、人口減少に悩んでいます。町の再建が遅れた地域ほど住民の戻りが遅いという実態があるのですが。この記事にあるように、地域の社会・経済的条件がより重要です。働く場があるか、若者が帰ってくるかです。
津波被災地でも、住民の戻りは一律ではないのです。宮城県では、仙台市とその周辺は人口が増えています。そこから遠くなるほど、人口の減少は大きいです。
災害を機に人口減少が加速したことは間違いありませんが、三陸沿岸ではそれまでの10年間でも10%人口が減っていたのです。
住民が戻るかどうか。それは災害の大小以上に、社会・経済条件によります。例えば(起こってもらっては困りますが)東京近辺で災害が起きたと想定すると、たぶん町の復旧とともに、人は戻ってくるでしょう。

社長の謝罪

日経ビジネス2020年12月21日号は、特集「謝罪の流儀」です。毎年年末に特集しているとのことです。記事の「経営の神様・松下幸之助 その奥の手は謝罪だった」を、日経新聞のネットニュースで読むことができます。

・・・いざ会議が始まると、議論はもめた。販売側は「松下の社員は相手の立場になって考えることを忘れている」などと批判を重ね、松下側も「売る方の経営姿勢に甘えがないのか」と迫る。幸之助氏は事前に「共存共栄」と書いた色紙を参加人数分用意していたが、対話はお互いの主張をぶつけ合う形で平行線をたどった。
そして、最終日に飛び出したのが、幸之助氏の謝罪だった。「原因は私どもにある。松下電器の体たらくは申し訳ない不始末だ。報恩の念に燃えて、経営の一切の立て直しをしなくてはならない」。時折ハンカチで目頭を拭い、途切れ途切れに語る「経営の神様」の姿。会場が粛然とした空気に包まれた、と参加者らの声も集めて作成した同社の百年史は伝えている・・・

・・・過去の企業トップの謝罪で真っ先に浮かぶのは何だろうか。「かつては当局が挙げた案件に対して企業が会見で謝るという流れが一般的だった」と電通PRの黒田明彦・企業広報戦略研究所フェローは振り返る。その流れを変えたのが、2000年の雪印乳業(現雪印メグミルク)の集団食中毒事件だった。記者会見後のエレベーターホールで時間延長を求めた記者に対し、当時の社長が「私は寝てないんだ!」と口走ってしまった一件だ。
この言葉が翌日の新聞紙面に踊り、1万5000人近い食中毒被害者を出した惨事に対する企業トップの認識不足が白日の下にさらされた。「あれ以降、企業の不祥事会見が数字の取れるコンテンツとして、メディアで取り扱われるようになった」(危機管理コンサルタント)
2000年代半ばには期限切れ原材料の使用など食品偽装が次々と発覚。そして07年、料理の使い回しなど不適切な運営で窮地に立った高級料亭、船場吉兆の記者会見で「劇場化」はピークを迎えた。女将の湯木佐知子氏が隣に座る息子の湯木喜久郎取締役に「頭が真っ白になったと(言いなさい)」などと小声で話すシーンがテレビで繰り返し放送され、「ささやき女将」が時の言葉となった・・・

記事で「かつて在籍した吉本興業において同社のリスク管理を一手に引き受け「謝罪マスター」の異名を取る竹中功氏」が出ておられますが、このホームページでも紹介したことがあります。