女川町の復興

12月11日の読売新聞に、宮城県女川町の航空写真が、大きく載っていました。被災直後の写真も載っていて、比較することができます。

・・・宮城県女川町の沿岸部には、防潮堤が建設されなかった。東日本大震災の直後こそ、高さ14メートルでの建設プランがあった。要望したのは商店主たち。これに町が反対した。津波の危険は完全にゼロにはできない。山に囲まれた女川の狭い宅地を削ることになる、とも。近くの山に、宅地を造成する工事が始まった。しかし、ぶち当たったのは、本物の壁だった。山の下は固い岩盤だったのだ。
「周辺は人が住み、病院もあるような場所。重機だけでも気をつかうのに、何度も発破しなければならない。貴重な経験でした」。現場責任者だった鹿島建設の星野亨さん(43)は振り返る。騒音や振動が抑えられる特殊重機を投入したり、火薬の量を通常より減らして発破したりして、10トンダンプ120万台分の土砂を削り取った。安全な宅地を造る工事は結局、4年半も続いた・・・・

航空写真ではよくわからないのですが、海側は5mほどかさ上げされています。海から駅に伸びる赤い舗装道路の左下に、道路に囲まれた丸い施設があります。その中に、ひっくり返った交番が保存されています。周囲がかさ上げされたので、そこだけ底地になっています。