連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第64回「日本は大転換期―成熟時代に求められる居場所のつくり方」が、発行されました。
成熟社会での生き方を模索している日本。私生活の問題のうち、今回は自由時間の増加とそれをどう使うかについて取り上げました。
経済発展を遂げて、生活時間が変わり自由時間が増えました。労働時間の短縮、家事の時間短縮、寿命の延びによってです。自由時間が増えることはうれしいのですが、その自由時間をどう使うかが課題になったのです。
もっとも、仕事人間の労働時間は減っていません。私の経験では、平成時代の方が、昭和より長時間働いているような気がします。かつても残業と休日出勤はあったのですが、「季節労働者」と自嘲するように、繁閑期があったのです。「24時間働けますか~」などと言い出したのは、平成時代です。また、多くのサラリーマンは、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ~」と「5時から男」を楽しんでいました。
仕事人間が退職すると困ります。職場しか「居場所」を持っていないからです。行くところがなくなります。「きょうよう」「きょういく」という言葉があります。今日用があること、今日行くところがあることです。それがない夫は、妻の後をくっついていく「ワシも族」「濡れ落ち葉」と呼ばれます。
他方で、地縁や血縁の付き合いの減少が、さらに自由時間を減らし、居場所を少なくします。都会の勤め人で、どれくらいの人が、自宅に訪問客を通す応接室や座敷を持っているでしょうか。