官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で。その3

朝日新聞「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」」の続きです。朝日新聞ニュースレター「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で 」(10月11日配信。秋山訓子編集委員執筆)が、朝日新聞ウエッブサイト・アナザーノートに掲載されました。内容は同じもののようです。会員制ですが、記事下にあるように無料登録するか、文末「関連ニュース」の右下のリンクからアナザーノートに無料登録すると、全文が読めます。

この記事を読んだたくさんの人から、ねぎらいや励ましのお便りをいただきました。ありがとうございます。いくつか紹介します。少し改変してあります。
・官僚も、すばらしい仕事をしてることがわかりました。
・官僚の悪口ばかりが目につく時代に、この記事を読み、うれしくなりました。
・今後ますます「怪人」ぶりを発揮して、世の為に腕を振るってください。
・記事の最後の文章、「「政」と向き合い、時に翻弄された「官」の人生は、終盤に「民」と出会ってさらに豊かに深くなった」がよいですね。
・NPOが、被災者支援や復興をはじめ行政と協働するのは当たり前になりましたが、このようになったのは東日本大震災からだったことを思い出しました。

中には、次のようなものも。
・秋山記者の筆力で、臨場感がありました。引き込まれました。
・主語が「岡本氏」になっていますが、「ぜんしょうさん」の間違いでは。
・岡本さんの発言が、関西弁ではありません。

裏口からの外国人受け入れ

東京大学出版会の広報誌「UP」8月号に、宮島喬先生の「日本はどんな外国人労働者受入れ国になったか 改正入管法から三〇年」が載っていました。

日本は、移民政策は採らない=外国人労働者の受け入れは制限するとしています。しかし実態は、外国人労働者を受け入れる政策をとっているというのが、この論考の趣旨です。人口減少と高学歴化で、産業界から労働力不足を訴える声が高まり、さまざまな制度改正をして受け入れてきたのです。その際に、高技能や専門能力のある外国人だけに制限するといいながら、抜け道があったのです。

1989年の入管法改正では、単純労働者は受け入れないこと(受け入れはごく一部の職種)が維持されつつ、「定住者」という在留資格を新設し、日系三世に充てられました。その後2年足らずで、日系ブラジル人とペルー人の来日・滞在者数は、15万人も増えました。「マジックか、二重基準なのか」と、先生は書いておられます。
しかし、日本語教育や職業研修は行わなかったので、彼らは派遣業者に頼って来日し、非正規の雇用に就き、労働者の基本的権利がなくとも甘んじて働いた(働かされた)のです。留学生のアルバイトや技能実習生も、同様に抜け道として機能しました。

労働者の送り出し国との間に二国間協定を締結するかしないかも、取り上げられています。日本は、労働者の受け入れを表明していないので、二国間協定を結ぶことはありません。しかし、二国間協定では、労働者の受け入れ条件(待遇などの労働条件、労災・雇用保険の適用、住宅、医療、年金などの内国人労働者との平等扱い)を定め、雇用契約に盛り込み、労働者の権利を守るのです。
建前を守りつつ、実態では漸進的に変えていく。これは、しばしば行われる手法です。これが、軋轢を少なくし、そして実を取ることに有効な場合があります。しかし、このような裏口入学(先生はサイドドアと言っておられます)は、副作用を伴うことがあります。
外国人労働者受け入れでは、この労働者の権利を守らないというとんでもない行為が行われています。非正規、低賃金、保障のない雇用が行われているのです。これでは、国際社会から批判を受けるでしょう。
詳しくは原文をお読み下さい。
10月20日の日経新聞経済教室、斉藤善久神戸大学准教授「生活者としての環境整備を 外国人労働者政策の課題」も、この問題を取り上げていました。

働かない職員を作る職場

ある若い公務員が職場を移り、新しい職場の特殊性を報告してくれました。「どうしてこの職場は、職員が仕事を積極的にしないのか」という驚きです。

・答弁作成が割り振られそうになると、まずは「それは私の仕事(私の課の仕事)ではない」という理屈を考える。防衛に成功すると、褒められる。
・新しい仕事に取り組む際に、他部局に問い合わせて確認することを渋り、「ああかな、こうかな」と想像している。
・解決策を考える際に「効率的か」「論理的か」というより、「批判されないかどうか」に重きが置かれている。
・問題点の評論はするが、解決策は提示しない。

そして、「『明るい公務員講座』に書かれているような、悩まないで仕事をする方法、効率的な仕事の方法は、実践されていません」とも。
う~ん、職場の風習「社風」は恐ろしいものです。仕事が人を作るといいますが、職場も人をつくります。よい方にも、悪い方にも。「朱に交われば赤くなる」ですが、黒くなる場合もあります。

感染者を責める社会

10月9日の朝日新聞オピニオン欄「新型コロナ 感染者を責める私たち」、
三浦麻子・大阪大学教授の発言から。
・・・「被害者たたき」という現象で説明するのが分かりやすいでしょう。女性が夜間に通り魔事件に遭うと「深夜に出歩くのが悪い」と責められることがある。心理学では、本来守るべき被害者を非難する心の動きを「公正世界信念」という考え方で捉えてきました。

世界には公正な秩序があると信じることで、私たちは安心して暮らせています。しかし「公正なはず」の世界で不運に陥る人を目の当たりにすると、大きな不安に襲われる。すると人の心には、「被害者は特別。正しく生きていればそんな目には遭わない」といういびつな事実認識をして、自分にとっての安定や秩序を取り戻そうとする力が働いてしまうのです。
感染者のニュースを見て、「我慢せず遊びに行ったから」「なにか不注意があったはず」といった理由づけをしたことはありませんか。未知のウイルスなど予測不能な状況に直面したとき、人間はそこに架空でも何らかの因果関係を仕立てて理解しようとする。そうすることで自分を「守った」気持ちになるのです。

これが、不運な被害者にもかかわらず、コロナ感染者を責めてしまう心のメカニズムです。しかし、その心の動きが「人間の性」であっても、それがむき出しとなり、誹謗中傷や差別という行為にまで至れば、感染者はより深い傷を負い、社会のつながりもずたずたになる。感染を隠す人が増えれば公衆衛生的にも悪影響です。

コロナ流行下で私たちの研究グループが実施した調査では、日本は他国に比べ、この「責める」意識が強いという結果が出ました。3、4月に日米英中伊5カ国の約2千人にした調査で、「感染した人は自業自得か」という質問に「そう思う」と答えた人は、欧米3カ国で1~2・5%、中国4・8%に対し、日本では11・5%。7月の調査でも同じ傾向でした。
なぜ日本人は「責める」傾向が強いのか。規範意識が高いといった説明はありえますが、調査からはまだはっきりと分かりません。ただ、日本におけるコミュニティーのあり方が密接に関係しているとは言えると思います・・・

與那覇潤さんの発言から。
・・・なぜ感染者を責めてしまうのか。一般的なイメージには反しますが、現在の日本が世界でもまれな「個人主義の国」であることが一因だと思います。
日本では、同調圧力を恐れず、自分の意見を堂々と唱えるといった、ポジティブな意味での個人主義は乏しいですよね。しかしそうした「正の個人主義」が弱い裏面で、実は「負の個人主義」は猛烈に強いんです。

「おれはおまえとは別の存在だから、触るな、不快な思いをさせるな」というのが負の個人主義です。自分と相手を包む「われわれ」の意識がない。「自己」が指す範囲を、個体ごとに分割し、「混じるな」と間に線を引く。
多くの飲食店が今、透明なアクリル板で客席を分けていますね。しかし日本人はコロナ以前から、自分と他人の心を疑似的なアクリル板で区切ってきた。「不快な気持ちにさせただけで、相手の領域への侵犯であり、アウト」。そうした発想が定着して久しい・・・

優先順位を体系で示す

総花と優先順位と、切る勇気」の続きです。

「政策の階層」で示したように、政策の重要性を階層で示すことが重要です。
優先順位をつける場合も、バラバラにつける方法と、体系にして示す場合があります。相互の脈絡のない優先順位は、わかりにくいです。なるべくわかりやすい政策体系を示して、多くの施策をその中に位置づけると、関係者は仕事がやりやすくなります。また、部外者にとっても、理解しやすくなります。書物の場合は目次であり、分類の場合は体系分類(系統樹)です。

『明るい公務員講座』109ページで書いたように、人間の頭に入るのは、3つまでです。それ以上の項目がある場合は、2つか3つに分けた大分類の下に、中分類や小分類を作って、そこに並べると頭に入りやすいです(といいつつ、このホームページの大分類は、左の黒い場所を見てもらうと、6つもあります。本の目次と思ってください)。

麻生太郎内閣総理大臣の時代に、総理の目指す日本を簡潔に「麻生総理の主な政策体系」として示しました。
東日本大震災直後の被災者生活支援本部では「現地の課題と本チームの取り組み」という形で、またその後の復興庁では「復興に向けた道のり」や「復興の現状と課題」という形です。

これらは非常に簡潔な姿になっています。もちろんその後ろには、もっと詳細な施策や資料があります。でも、関係者や部外の方に理解してもらうには、まずは1枚が良いのです。さらに知りたい人には、詳しい資料を見てもらいます。