双葉町産業交流センター開所

10月1日に、福島県双葉町の産業交流センターが開所しました。県の東日本大震災・原子力災害伝承館に隣接しています。
この地区は産業拠点として開発を進めていて、周囲には企業団地もできています。この施設には、企業に貸し出す部屋とともに、町民が立ち寄って休憩する部屋や、食堂が併設されています。

双葉町は、原発避難指示が出た市町村の中で、唯一まだ住民が住めない町です。この食堂も、町で初めてできた食堂です。
町長の判断で、まず産業から再開する方針をとりました。この地区は放射線量は比較的低いのですが、海岸に近く、住宅は建てることができません。
概要は、読売新聞10月1日夕刊「双葉復興 拠点できた…町産業交流センター」がわかりやすいです。

復興特区制度

東日本大震災から10年が近づいてきて、報道機関が特集を始めたり、準備を始めています。私にも、相談やら取材が来ています。先日、河北新報に、復興特区が載りました。

・・・「特区さえあれば何でもできるわけではない」「何をするかを明確にする必要がある」。政府の復興構想会議では、特区そのものの狙いや定義が議論になった。
具体的なテーマに挙がったのは、復興促進のため被災地を区切って各種特例を設ける手法や、医療介護など先進モデルを被災地で実現し、いち早く国内課題に対処する手法だ。
2011年12月に成立した復興特区法は、一定の被害があった北海道から長野県まで11道県227市町村を対象区域に設定。規制緩和や手続きの簡素化、復興交付金などの特例メニューを用意し、県や市町村の申請を認可する形式とした。
元復興庁事務次官の内閣官房参与岡本全勝(65)は「新しいことをするというより、幾つかの行政手法を組み合わせて自治体を支援するのが主な狙いだ」と解説する・・・

大震災で町が流され、復興の過程で、新しい町をつくろうという機運が高まりました。復興特区制度も、そのための手法の一つでした。制度作成の中心になってくれたのは、青木由行参事官(当時。現在、国土交通省不動産・建設経済局長)でした。

「白地に絵を描く」ことで、何でも自由にできると、私も当初は思いました。しかし、進めていくうちに、そんなことはできないと気づきました。
・まず、被災地は、膨大な数の被災者の生活支援で精一杯で、新しい町づくりを考える余裕はありませんでした。
・また、市町村には、新しい町づくりをするだけの経験も能力もなく、職員もいませんでした。
・制度や手法を、ゼロから考えることは理論的に可能ですが、とても時間がかかって、現実的ではありません。しかも、現地での具体的課題を取り上げないと、抽象論では話は進みません。

復興交付金も復興特区制度も、既存の制度を参考に、まず使えるものを集めました。そして、それを使いやすいようにしました。
まず、自治体からの申請を、一つの窓口(復興庁)で受けることにしたのです。そして、現地で課題が出てきたら修正する、穴を埋めることにしました。これまでにないことですから、やってみないと誰もわかりません。走りながら考えたのです。
そしてその際は、市町村にはそれを担う職員がいないので、国や他の自治体から職員を送り込みました。さらに、計画の青写真作りや、申請書の下書きも国の職員が行うことも多かったのです。

安倍政権の位置づけ、激変した世界の中で。その2

佐伯啓思先生「安倍政権の位置づけ、激変した世界の中で」の続きです。では、この大変動の中で、どうすればよいか。

・・・100年ほど前、文明論者のオルテガは、既存の価値観が崩壊し、しかも次の新たな価値観が見えず、人々は信じるにたる価値を見失って、社会が右へ左へと動揺する時代を「歴史の危機」もしくは「危機の時代」と呼んだが、まさしく、2010年代は、小規模な「危機の時代」である。グローバリズム、リベラルな民主主義、市場中心主義、米国流の世界秩序といった「冷戦後」の価値が失墜し、しかもその先はまったく見通せないのである。
安倍政権が誕生したのは、まさにこの「危機の時代」であった。この不安定な時代には、次々と問題が発生する。人々の不満は高まる。民主主義は政治家に過度なまでの要求を突きつける。安倍政権は、確かに、次々と生じる問題にその都度、対処しようとした。「仕事」に忙殺される。しかし何をやっても経済はさしてうまくゆかず、いくら外交舞台で地球上を飛び回っても、国際関係は安定しない。外交で、安倍氏個人への信頼は高まっても、今日の複雑に入り組んだ国家間の軋轢や経済競争は容易には改善されないのである・・・
・・・安倍政権が、大きな課題を掲げることができなかったのは当然であり、またその「仕事」が大きな成果を生み出せないのも当然である。もはや、この時代には、経済成長主義も日米同盟による安全保障も自明ではなくなってしまったからである。焼け跡の復興から始まった日本の戦後が、まだまだ上昇機運にある時代には、大きな課題、つまり将来へつながる国家目標を掲げることができる。しかし、世界状況がこれほど混沌(こんとん)とし、人口減少によって経済成長も困難となり、おまけに自然災害や疫病までが襲ってくる時代には、何を掲げればよいのであろうか・・・

・・・最高の地位にある政治家は、また行政のトップでもある。最高の行政官は、国民の要求に応えなければならず、また国家の直面する目前の問題に対して現実に対処しなければならない。まさに身を粉にして「仕事」をしなければならない。「仕事」をすれば支持率はあがる。だが、政治家とは、世界状況を読み、その中で国家の長期的な方向を示すべき存在でもある。「旗」をたて、その旗のもとに結集すべく人々を説得する「指揮官」でもある。
今日、「国民の要求に応えるべく必死で仕事をする」というのが政治家の決まり文句になり、人々もそれを求める。だがそれはあくまで行政官としてであって、政治家とは、人々にその向かう方向を指し示す指揮官でもなければならない。時代の困難さはあれ、安倍氏がこの意味での政治家であったとは思えないのである。その同じ課題は次の指導者にも求められるだろう。この不透明な時代にあって、たとえそれがどんなに困難なことだとしても、である・・・